定時制に進んだ訳


中学2年の夏,父が脳溢血で倒れました。

仕事に出かけていて倒れ,村の診療所に運び込まれた。

あやうく一命を取りとめたが,半身付随で寝たきりの毎日が続いた。
退院してからも立って歩く事もままならず,言葉もしゃべる事ができない。
自分の言いたいことを人に伝える事ができず,世話をする母のことをぶったりしてイライラする日々であった。

小生が小さい頃から,わが父は酒のみであった。

建築業(大工)をしていた父は,当時弟子として10人くらい抱えていた。
村内でも結構な実力者になっていた父は,学校の増築や解体,橋の掛け替えなどもあった。

当時はまだまだ木の橋が多く,その掛け替えも結構な大仕事になった。50m以上の長い橋も仕事した。
その時は弟子全員と現場に泊まり込みでやっていた。
そんな仕事柄一日の終わりに家に全員が集まって,酒を飲むというのが常であった。


夕方父が帰ってくると,決まって部落の酒屋へ酒を買いに行かされた。

自転車の後に「てんご」というわらでつくった入れ物を縛りつけ,空の1升びんを2本入れて走った。
清酒2升を買い,空のびんで差し引きいくらか安くなる。

それに鯨の缶詰めの一番大きい缶を2つ買うのが決まりだった。

酒を飲んだ父は結構陽気で,楽しそうであった。

飲んで暴れたとか人に迷惑をかけたとかいうことは小生の知っている限りでは一度もなかった。


そういう姿を見ているから,自分はその頃から酔っ払いというものを嫌いではなかった。
むしろそういうときは何かたのんでも聞いてくれる事が多かったので好きだった。


だから小生の思い出の中に父親の嫌な姿はない。

いつも大好きな父親であった。


(右:中学校の門のところで撮りました)


父が倒れてからは一番上の兄が父の仕事である建築業を受け継いで仕事をしていた。

倒れる数年前から仕事にはついていたのだが,父の引退後は弟子も抱えるわけにいかず,解散状態になった。

父と同じ2級建築士の資格も取得してはいたが,なにぶん大工としての格が父には及ばず,大きな仕事を請け負うところまでは行かなかった。

田んぼは昔からの5反,畑が2反。

専業農家から見て半分も3分の1にもならない程度の規模で,そちらのほうは母と兄嫁がやった。

兄嫁も農繁期の時だけは田んぼを手伝い,あとは仕事についた。



そういう理由で家計にもいろいろと影響があり,村上の高校に行く友達がほとんどのところ小生は定時制の高校へ進む事になったのである。


(次回「哀れスネークの恋」につづく)