アタッシュケースよいずこ


平塚のデパートを退職した後,東京の子供ニット製品の卸問屋に務めたわけですが,入社して10ヶ月位たった時の出来事です。

ニット製品の問屋では,一応企画室という部所で商品見本制作のためのデザインを考えたり,できあがった見本をディスプレイしてお客(小売店のバイヤー)に説明やら営業の売り込みの手伝いなどをやっておりやした。

プリントの柄を考えたり,文字パターンを決めたりする仕事は結構楽しい仕事で自分にはあっていたように思う(営業よりは)。

営業の手伝いと称して,小売店の棚卸しに行かされたり販売促進の名目で売り出しの手伝いなどもよくあった。

そんな訳で夏物の商戦真っただ中の頃,問屋とすれば商品をほぼ出荷し終わってこれから値下げ処分という時期のこと。

前に務めていた平塚のデパートの子供服売場へ、市場調査(今年の売れ行きの結果と動向を聞いて,来年の参考にする)と、会社に残っている在庫品の売り込みをかねて行くことになった。

営業がその日行けないので「元の同僚もいるし話を聞くだけでもいいじゃないか」ということである。

家から平塚に行きデパートに行ってそれから会社へ行けばいいので, 朝ゆっくりできるしこりゃいいや。

なんとなく心うきうき。

営業のアタッシュケースを借りて,見本のTシャツも詰まるだけ詰めた。

「多少でも商談をまとめてくれば大したもんである。」と自分なりに成果の皮算用をはじいた。(ずうずうしい)

いつもの習慣で帰りはちょいと一杯立ち寄った。
どうせ明日は朝ゆっくり寝てられるし,楽勝だとついピッチが上がってたかも知れない。

小田急の新宿駅発最終時刻頃の電車でかえったは良いのだが、気持ちよく寝てしまった。

小田急線は多くの電車が相模大野で半分ずつに切り離すようになっている。

前半分が小田原へ,後半分が江の島方面というようなやり方をとる。
そんな理由から相模大野では反射的に降りてしまうのだ。
そしてまた乗り換える。

その日は後半分が江の島方面だったようである。

酔っ払って寝てしまい,相模大野に着いたところであわてて降りた。
そこまではいいのだが,その日はなぜかそのままホームの長いすに寝転んでしまったのである。

しばらくして,目を覚まし、まだ残っていた電車でやっとこさ家まで帰った。が、・・・

翌朝,目を覚ましてびっくり!

あのアタッシュケースがねえのである。

あれがないと、平塚のデパートへは何を持って行けばいいの。

見本のTシャツなんかはしょうがないにしても、アタッシュケースはないと困る。

まてよ。

冷静にゆうべのことを思い出すと,相模大野で長いすから目を覚まし起き上がったとき,たしかアタッシュケースを持っていなかったような気がする。

会社から持って出たのは間違いないから,小田急電車の中に忘れたにちげーねー。

まず小田急線本厚木駅に電話を入れた。

駅員のいうには,

「ここにはありません。もし電車の車両に忘れたのであれば,翌朝の始発電車で新宿駅に戻します。」という冷たい返事だった。

そこで小田急の新宿駅「遺失物保管」係へ電話。

ところがあいにく

「当駅には該当する物は現在届いておりません。もし届きましたら,連絡します。」とこれまた冷たいお言葉。

どうすることもできず,平塚へ。

後輩のいる子供服売場では「○○さん見本も持たずになにしにきたの」てな顔をされるし,市場動向もうわの空。
まして商談なんてのは論外である。

見本がないんだもん。

会社のほうには内緒だよと,固く口止めして売場を立ち去るだけだった。

少したって自宅に電話を入れたら,新宿駅から電話があって,「小田急藤沢駅にそれらしきアタッシュケースが保管されておりますので行って確認して下さい」という伝言。

やっぱり作夜の電車は藤沢方面の電車だったのだ。
アタッシュケースを持たずに,電車を降りたんだなきっと。

「助かった...」体中の力が抜けていくような気がした。

でもまだ確認しなければ安心できない。
平塚から藤沢駅までの15分はそうとう長かった。
やっと確認してアタッシュケースは無事小生の手もとに戻ってくれた。

見本のTシャツもきれいなままで。

会社へ出勤したのは,午後1時を回っていた。

「市場動向でいろいろ聞いてきました。結構来年の参考になりそうですね。来年はいいのができそうですよ、ハイ。」

「夏物の商談はとりあえず保留として,近日中に再度営業の担当と話すそうです。」


こんなきちんとした報告を社長に出したのは、もちろん小生である。




(次回「帰ってくるのは楽じゃない」につづく)