魅惑のラテンキング


平塚のデパートについて少し説明しておこう。

Uデパートは,平塚での老舗で規模も一番大きい店である。

藤沢が現在のように大手のデパートが乱立する前は鎌倉,藤沢,辻堂,茅ヶ崎から大磯,二宮辺りまで,また北のほうへは海老名,厚木,伊勢原,秦野,松田あたりまでを商圏に抱えた有名な店であった。

従業員は約450名。
本館と、後に新しく駅前館ができて連絡通路で結ばれている。
地下2階,3階,6階と連絡通路があった。

売場面積も結構広く,置いてある商品も高級品はもちろん手ごろな廉価品まで幅広く揃えてあって,お客様の評判もまあまあ良かった。
売上も年々上昇していて,他店との競争にもことごとく勝ってきた。

社長さんがこれまたりっぱな人格者であった。

聞いた話では,あのイト−ヨ−カ堂の初代社長である伊藤さんに商売のいろはを教えたという。
伊藤社長の先生であるからして,まあたいしたお方なのである。
もう亡くなられてから20年くらいたつけれど,なぜか平塚にはイト−ヨ−カ堂は出店していない。

これから先もたぶん出ないはずである。

そんなりっぱなデパートだということを前置きして,小生の活躍ぶりを書いている次第である。

前の項で記したが,電気売場にいる頃社内の有志が集まってバンドをやろうじゃないかということになった。

メンバーの多くは,配送課の若者(若干年食ってる方もいたが)でその他に外商部から3名と小生が加わった。
楽器の構成は,サックス3,トランペット3,キーボード,ギター,ベース,ドラムに、のちにコンガを加えた結構りっぱなもんである。

配送課にUさんという人がいて,サックスのプロであった。
というのは、仕事が終わった後に毎晩平塚のキャバレーにサックスで出演していたのである。会社は知っていたのかどうだか、わからない。

同じくもう一人出演しているのが外商部のTさんで,彼はドラムをやったりサックスを吹いたりのスペシャリスト、こちらも同じキャバレーのメンバーであった。
でもバンド全体の構成を考えてUさんはトランペット,Tさんはサックスを担当することになった。

この二人が実質のリーダー格なのだが,表向きは配送課の課長であるIさんがリーダーということになっていた。
この課長がちょっと問題であった。

理由は最後まで読んでくれればわかる。

楽器は自分自分で買うとして,バンドと言うからには譜面台がないと格好がつかない。

そこで休日に集合、ベニヤ板をそれの形に切り,赤いペンキを塗って譜面台をこしらえた。
赤地に白でバンド名をくっきりと浮かび上がらせた。

名前は「ラテン・キング」。

ラテンの王様という意味だというが,らてん・きんぐ・こんぐにならなければいいが...という懸念も多少あった。
さて,バンドの名前,メンバ−及び楽器の編成は決まり,めざすジャンルは当然ラテンである。

そう。

あの偉大な「ペレス・プラード」、もうちょっと近くは「東京キューバンボーイズ」か「有馬徹とノーチェクバーナ」をめざすという大胆不適と言うか自身過剰というか。
いやはや大変な鼻息でありやした。


問題の実力のほうはというと、先の二人以外は全くの素人。

個人で少しはやったことがある程度のレベルでした。
特にすごいのはトランペットで,Uさんはもちろんできるのだが他の2名はさわるのも初めて。

音がでるまでずいぶんかかりそうだ。

トランペットは押さえるところが3ケ所だけで微妙なタッチが要求されるため,時々とんでもなく高い音がでるのでよけい目立った。

あとは表向きリーダーの課長が操るキーボードも微妙な音を奏でるのが特徴であった。
でもソロの部分は,極力押さえてあるので,あまりボロは出ず残りは和音でごまかすようにできた。
譜面はUさんが一人で書いてくれるのである。

小生はエレキギターが担当でありやした。

まあこれはある程度個人的にやってたし,コードも大体はわかっていたので余裕があった。
当時はエレキと同様フォークソングにはまっておりやして小生、12弦のフォークギターを練習し、毎日「ドナドナ」や「花は何処へ行った」などを口ずさんでおったのです。

そんなところを買われて、かどうか知りませんがところどころでソロを受け持つことができた。
当バンドのメインナンバーにと「マンボNo.5」を必死に練習しました。

この曲はなんてったってサックスとペットのダイナミックなソロの取り合いで,迫力のあるテンポのいい曲なので気分も乗ること。乗ること。

しかしどうしても軽快なテンポが途中までしか続かず,だんだん遅くなってしまう。
サックスとペットは大変そうでしだ。
音のでない2本のペットをカバーするUさんも息が切れてしまうのです。


これは寮の部屋です。熱心に練習しました。




 練習場所はデパートの13階。
普段は結婚式の披露宴などに使うフロアで20坪位はあったと思う。

これは、表向きリーダーの交渉で、会社の承諾を取付けたものです。
駅の近くであり,窓を開けて練習するのでホームにがんがん聞こえていたようだ。

うまい演奏ならともかく,へんてこりんな調子っぱずれのトランペットの音が延々2時間も聞こえるのだから一般大衆もいい迷惑だ。
練習するほうは,そんなこと少しも気にはしない。
そんなデリケートな人はバンドにはいなかった。


月日は流れ(ほんの少しだけ),ビア・ガーデンの季節がやってまいりやした。

当デパートの屋上でも毎年のごとくやっておったのであります。

ビアガーデンのマネージャーにとっては不運としか言いようがない。
ある程度上達した(つもり)腕を,いま振るうときがきたとばかり出演することになった。

これに先立つこと数ケ月(早い話が始めてまもなくの頃)表向きリーダーの案で、バンドの制服を作ろうということになった。

知り合いの洋服屋で生地を安く買って,オーダーで作ってもらうという。
色はグリーン。襟は赤。
ジャージっぽい生地で,鮮やかなグリーンがいかにもお昼の演芸番組で落語の合間に出てくるコミックバンド風。

それでも生地代,仕立て代とも課長がポケットマネーで出してくれるというので皆んなは大喜びである。
営業時間中に内緒で抜け出して、一人一人洋服屋へ採寸にいそいそと出かけた。

スラックスは黒と決め各自で準備する。
一番安上がりは学生ズボンというのでそれを買った。
ネクタイはやはりバンドマンがタキシードにする黒い奴。

蝶ネクタイとちょっと違うピンで止める奴を会費で買った。
たしか会費を月500円集めていて,譜面用紙を買うのに使っていた。
とにかく外見だけはいち早く整えていたのである。

早くから準備してあったこの制服。
いまやっと披露するときがきたのである。

レパートリーもマンボNo.5をはじめ,数曲をマスター(正確にはマスターしたのではなく最後まで演奏ができる程度)しておった。


いざ。

晴れのステージはなんとか大きなミスはなく,終える事ができた。

というより難しい曲は避けたような気もしたが。

1度やると少なからず自信が湧いてきたのか続けて2回,3回と出演した。
すばらしくうまいという訳ではないが,にぎやかな場を作る事には成功したのであった。その後,どこで話をつけてくるのか知らないけれどどこかの専門学校のパーティにも出かけて演奏したりもした。
さらに少しだけ月日が流れて,いよいよ問題のステージへと続くのである。

それは今思い出しても恥ずかしい出来事。

UさんとTさんがバイトで出演しているというキャバレーに出演できる事になったのである。
後で知ったのだが,ずいぶん無理して頼んだらしい。
もちろんノーギャラ。

こちらから頼んで出さしていただくのである。
なにしろ平塚で一番大きいキャバレーである。
フロアも相当ひろい。
ダンスを踊れるスペースもあり,100人位は入れる店である。
バンドのステージは一段高くとってあり,小さな劇場クラスである。
そんな所へのこのこ出かけて行くのだから,身の程知らずというか。

いよいよ当日。

お客はまあまあの入りであった。
いつもの制服に身を整えて張り切ってステージへと上がったのである。

1曲2曲と進んだ。
やや難のトランペットも、この日はなんとかなっている。
このまま終わっていれば大成功だったが....

運命の曲はやってきたのであった。

曲名は思い出せないが(という位だから,あまり練習はしていなかった曲である),「夜のプラットホーム」とかなんとかいう曲だったと思う。

割とスローなテンポで,ムードのあるメロディが続くところで,ついにボロが出た。
皆んな自信がないところなのか,だんだん音が小さくなってきたのである。
他の音が小さくなると自分の音がいやに大きく聞こえ自分もだんだん小さくなる。
こりゃいかんと思う間もなく,音がぷっつんとストップしちまったのである。

ありゃりゃ。

  ・
  ・
  ・

ムードを出して踊っていた客も止まってしまった。

なにせ素人の集まり。

修羅場を踏んでない悲しさ。

フォローの仕方もわからずぽわーんと舞い上がっちゃったもんね。
あとはどうなったか。
小生も覚えてない。

ステージをおりて楽器の片づけるあたりまでの空白の時間は記憶から消えてしまった。
フロアもお客の罵声とブーイングでざわめいたと思うが,こっちはこっちで大変だったのよ。

その夜はみんな声もなく別れ別れに解散した。
成功したら,派手な打ち上げになったろうが。

みじめ....

UとTは後日,たっぷりとキャバレーのマネージャーからご注意のお言葉をいただいたという噂。

それでもめげずに,また練習は続いたのよ。ずーっと。
その後は,あんまり派手な記憶はない。

普通に集まって,一生懸命腕を磨いたということであった。
何年か続いてUさんが退職することになり,バンドも解散することになった。

皆んな少しはさみしい気持もあったがUさんがいないのではと,きっぱりあきらめた。
魅惑のラテンキングは終わったのである。



それから少したったある日。

表向きバンドリーダーの課長がデパートを首になった。

その理由は,配達料金を着服して自分の小遣いにしていたという話。

なんでも1500万円とか2000万円とかを着服ということで,そういえば車もその頃人気のあったコロナマーク2で派手な黄色にレザーなんか張って通勤していたもんだった。

バンドの練習の後,焼き肉屋に全員連れていき、ジンギスカンをよく食わしてもらった。
会社の裏の寿司屋で寿司を食わしてもらったこともある。
そういやあ、バンドの制服も課長が全部出してくれた。


ゲッ!ひょっとしてあのお金は....


会社から,バンドの制服を返すようにと言われたらしいのだが、小生はなんとなく逃れてしばらくの間洋服タンスに吊るし、思い出にひたっておった。

しかしその制服も普段着るわけにはいかず、いつの間にかタンスから姿を消してしまった。

たぶんいらない洋服と一緒に捨てちゃったのだろう。



<反省>
残念なことに、バンドの写真が見つからない。
たしか2枚あって、アルバムに貼ってあったと思ったのだが。
いつか、見つかったら載せます。格好よかったんですよ。ホント。


(次回「アタッシュケースよいずこ」につづく)