運命のHITCAPとの出会い

当時HITCAPは3台、担当者2名。ちょうど1台あいていたのです。
特に決まった仕事が入ってきている様子もなく、二人の担当者はいろいろ試しているような感じもしていました。
HITCAPは、日立の電子組版機ということで、ワープロではできないような細かいレイアウトができる機械でした。取引先が、HITCAPでマニュアルを作りはじめていました。


HITCAPを訓練してオペレータを育てないと、受注がスタートできないのです。また、より多く受注するためには優秀なHITCAPのチームを作っておかなければならなかったのです。
操作面の講習などはなく、自分で操作マニュアルを読みながら練習をしました。
印刷関係の仕事はこの会社へ来てからなので、知らない言葉もずいぶん多く戸惑いながらの練習でした。
版面、ノンブル、マージン、面付などなど。
担当者の人にも、いろいろ教えてもらったりして、10月ごろには操作のほうも何とかできるようになりました。
ある日、営業担当の人がはいって、HITCAPのミーティングが開かれました。


議題は「何でHITCAPがいまだに立ち上がらないのか」ということです。
「立ち上がる」とは、業界用語で「稼働させる」というような意味です。
いろいろ試しているようだけど、まだ実際に仕事が入ってこない状態なのです。
最初は意味が全然わからず、ポカーンと聞いていたのですが、少しずつわかって来ました。
マニュアルの仕事をHITCAPでやろうとしているのだが、いまだにHITCAPで組めるレベルまで到達していないことに営業担当が、その上の営業部長から言われたようなのです。
そのときのメモがたまたま古いノートに書いてあったのですが、
1.営業サイドから見て、OAの体制が整っていないのに受注しても、大幅な遅れを覚悟しなければならず、受注することがこわい。
2.OAサイドからは、現在の技術力でこなせる範囲の仕事量を受注することは可能なのか。体制及び納期の件については、オペレータの技術力に大きく関係することで、実際の仕事をこなしていきながら技術をあげるしかない。


こんなメモになっています。


結局、少しずつでも受注していき、レベルをあげ消化物量を増やしていこうということになり、マニュアルの仕事をスタートさせるようになりました。
自分もやっと一般操作を覚えた段階だったが、頑張って早くこなせるようになりたいと意欲的に考えました。
その後すぐに、1名退職し、担当オペレータは二人になりました。勤続数年の先輩ですが、女子社員ということもあり、小生がリーダー的な役割になりました。


マニュアルも簡単なものから、二段組のややこしいものまであります。ある日、小生の組んだ二段組の頁には、校正者からの修正指示が頁にいっぱい真っ赤になるほどついて戻ってきました。

あちゃーっ。
まっかっかじゃないの。大変だよこりゃ。
修正するのも大変な作業でした。二段組の本文のなかに、表や図形をレイアウトする時の決まりがあってよく理解できないものでした。
二段組のレイアウトってほんとに難しいと思いました。
そんなこんなで、悪戦苦闘しながらなんとか頑張って毎日を過ごしていきました。
曲がりなりにも、それらしい組版ができるようになってきてだんだん自信もついてきたようでした。それでもまだ、マニュアルの仕事はポツリポツリで取引先にも組版のレベルが信頼されるまではいってませんでした。


冬のボーナス日、我が社の恒例で、忘年会が行われました。
我が社のボーナスは、午前中一般社員は仕事、主任以上は営業会議をやることになっているのです。
そして午後から、式典。社長、専務の話のあと一人一人に専務から手渡すことになっているのです。
現金で渡されるので、結構有難味が大きくうれしい日でありました。
お金をもらったら、退社して一旦家に帰り、各自思い思いに着飾って別会場に夕方6時ごろ集合するのです。
昔から、会場は藤沢駅前にあるWという結婚式場。2次会はスナックとなっていました。(らしい)


その日は、式典の際に昇格者の発表もあり、小生はまだ入社1年足らずながらOAセンタ主任に任命されたのです。
同時にT主任はOAの係長になりました。
T係長(その日までは主任)とは、非常に気も合い、仕事の帰りよく赤ちょうちんで飲んだものでした。
車通勤だったのですが、全然おかまいなしに飲んで帰るのです。
その日も、会場に行く前に藤沢駅前で約束し、屋台の赤ちょうちんで一杯飲んで忘年会に集合しました。

昇進祝いとのせられて、ステージに上がり1曲歌わさせました。
二次会も終わるころ、T係長も小生ももう飲めないというところまで飲んでおりやんした。
忘年会のステージ。吉幾三さんの「雪国」が好きで、このときも歌いました。
となりの女性は感激して思わずステージに駆け上がったファン(?)の方です。

「もう一軒寄ろう。帰り送るから」。
お言葉に甘えるように気分良くもう一軒楽しみました。
係長の奥様が、茅ヶ崎駅から小生の家まで送ってくれるというのです。
茅ヶ崎駅につくと、しばらくして係長の奥様が車で迎えにきてくれました。
ベロンベロンに酔っ払った二人は、係長が助手席、小生が後部座席に乗り込むとぐったりと倒れこんでしまいました。
小生は飲むとすぐに眠くなる性格で、例にもれずすぐに眠りに入っていったのです。

このあと、小生の人生でも最も大きな衝撃にぶち当たるとは夢にも思わずに。



人生最大の衝撃とは・・・。


次回「目がさめたところは?」につづく