目がさめたところは

目がさめたところは、病院のベッドの上でした。
何だか知らないけど体中が痛いという感じでした。
顔には包帯やらテープがあちこちに貼られた状態のようだ。唇も2,3箇所縫ってあるようだし、いったいなんだろうと最初思いました。
目の前では妻が心配そうな顔で見ています。
小生が目をあけたので、ほっとしているようにも見えます。
看護婦さんがなにやら忙しそうに行き来しておりました。
寒川町のK外科病院というところでした。


夕べ、正確には今日のこと。
茅ヶ崎駅からT係長の奥様に車で送って頂いた時、寒川で他の車に衝突されたらしいのです。
後部座席に乗っていた小生は、衝突された時に、その衝撃で開いた車のハッチバックドアのところから、車外へ放り出されたのだそうです。
普通は死んでもおかしくない状況。
幸いにも一命を取りとめ、救急車でこの病院へ運ばれた訳です。
一緒のT係長は鎖骨骨折とむちうち症、運転していた奥様も怪我をしたそうだが軽症ですんだそうです。
小生たちが乗っていた車はメチャメチャにつぶれ廃車になったそうで、警察の話では、これだけの事故で死者がでなかったのは不思議なくらいだということを後に聞きました。そのくらい、ものすごい事故だったようです。
小生の場合、後部座席でシートベルトをしていなかったのと、車の横から衝突され車が回転したのがまずく、その衝撃で外へ飛び出す羽目になってしまいました。
小生はまったく覚えていないのですが、手当を受けているとき、お医者さんから「この人誰だかわかりますか」と聞かれ、連絡を受けてかけつけた妻のことを「会社の女の人」と答えたそうです。
そのとき、妻は「ああ、ダメかな。こりゃ」と一瞬考えたそうです。


検査の結果
頭蓋骨骨折(ヒビがはいっている)そこから脳の髄液が流れ出し、左の耳の中に流れ込みました。
肋骨骨折
腰椎骨折8箇所(脊髄から左右にでている小さな骨)
脳挫傷
肺座礁
全身打撲
ざっとこんな具合です。
全治6ヶ月の重傷という診断でした。


ベッドから起き上がることはもちろんできません。
寝返りももちろんダメ。見えるのは、同じ方向の窓だけです。
その窓の外は空は見えず、となりのビルの壁が無表情にあるだけ。なんとも寂しい風景でした。
身体を動かすことができないのですが、検査はしなければならないらしく、レントゲンは看護婦さんが3人がかりで、持ち上げて移動用のベッドに乗っけてくれました。
1週間くらいの間、毎日レントゲン撮影が続きました。
一回につき40から50枚くらいは撮ったと思います。
尿のほうは、運ばれたときに管を差し込まれたらしく、ベッドに下げられたビニール袋になんの意識もなく溜まるようになっていました。もちろん小生からは見えませんが。
時々、タンが出るのですが、どす黒くにごったいやな色でした。
肋骨を折った骨が肺を傷つけているということでした。
血痰の場合は、赤い色よりもどす黒く濁った色の場合が状態がよくないといいます。


翌日、田舎の母親が駆けつけてくれました。
田舎のほうでも親類の者が同じように交通事故で命を失ったことがあり、小生の助かったのを見てほっと胸をなでおろしたのと同時にやはり小生の傷だらけの顔を見ておいおいと涙を流しました。
夜に寝れなくて、目をさましなんともいえぬ気持ちになり、悲しい気持ちでした。
時間のたつのが遅く、朝がくるのが疲れるという感じだったのです。
起きているのがつらく、かといって眠れない。そんな気持ちが本当にくるしい毎日でした。
時々出る熱も小生を苦しめました。
看護婦さんが氷枕をあててくれたり、もちろん妻もいろいろ大変だったようです。
パートをしていたのですが、休んでつきっきりの看病です。洗濯物をもって一旦家へ帰ったり、子供の世話と。
長男が中学校、次男が小学校でした。
上の子は弁当も作らなければいけなかったのです。
でも、父親がこんなになっているという意識は子供たちにも伝わって、その時からそれぞれ自分のことを自分でできるだけやるようになったそうです。


気がついたということで、何日かしてから会社上司やOAの仲間達が次から次と見舞いに来てくれました。
心配してきてくれるので、元気な様子を見てもらいたくて起き上がりたいくらいなのだが、体はいうことがきかず歯がゆい限りでした。
それでも、安心して帰ってもらい、ほんとに嬉しかったのです。


1週間ほどして唇の糸は取れました。顔のキズもきれいになってきました。それでも、点滴と注射、検査の毎日でした。
海老名市のS病院に移ったのは、最初の日から2週間ほど後です。
妻が毎日通うにも都合もいいし、設備の整った大きな病院を妻が手配してくれて、移れることになりました。

その年の11月に田舎の甥の結婚式があり、兄弟全員が集まりました。めったにないことです。
事故は楽しい帰郷のちょうど1ヶ月後の悪夢だったのです。
写真は式場の控え室でのスナップです。
弟の子供かな。
仲良くなってとてもたのしいひとときでした。


看護婦さんが「まだ動かさないほうがいいんだけれどねえ。肺が傷ついているのが心配だねえ」と言ってくれましたが、海老名市に帰れるということで、なんとなく安心感が生まれ、一つ山を越えたような気がしたものでありました。



次回「ベッドの上のMerry X'mas」に続く。