ベッドの上のMerry X'mas

海老名市のS病院に移って、最初に行ったこと。
やはり検査でした。
当然といえば当然でしょうが、前の病院からの資料もあるかもしれないけれど、引き継いだところはデータを取らなければならないのです。
やはり1週間くらい検査検査の連続でした。
レントゲンは勿論のこと、脳波の検査、MRIとかいう頭からトンネルのようになっているところへ入っていく検査、耳の中に固まった髄液をとる治療やら。
起き上がることがまだできなくて、何をやるにも看護婦さんが2,3人がかりで小生を持ち上げて移動用のベッドに乗っけなければならず、大変な騒ぎです。






お世話になった病院(2000.10現在)
左側の病棟の3Fに入院しておりました。

移った時は、個室にいれてくれました。
3Fの部屋で、広い窓からは大山、丹沢の山々が見えます。
今までのビルの壁とはまったく違った開放感がありました。
本当にここへ移ってよかったと涙が出るほどうれしい気持ちです。
しかし、まだ起き上がれないので1人でトイレに行くことができず、特に大のほうが大変でした。
病院は完全看護なので、通常看護婦さんが全部面倒を見てくれることになっているのですが、さすがに大のほうは恥ずかしい。
日中は妻がいてくれるので、妻に大便用の受皿をあててもらい用を足しました。


小のほうはというと、実はこれまた大変な苦労をしました。
病院を移るときに、もうそろそろいいだろうということで、差し込んであった管を抜いてきたのです。
ところが、ベッドの上で寝ながらするという行為(誤解しないで)が、もの凄い抵抗感となって尿がまったくでないのです。
移ってから3日間くらい小を出すことができませんでした。
不思議なことに大のほうは毎日きちんと快調に出るのですが、小のほうがいっこうに出ないのです。
ジュースを飲んだりして水分も補給しているのですがまったく出せず、そのうちお腹が張ってくるようになりました。
いっそのこと、また管をさしこんでくれませんかと看護婦さんに言ってみたのですが、せっかく抜いたのだからもう少し頑張ってくださいとハッパかけられる始末でした。


4日目くらいにやっと少し出るようになりましたが、それでも1日一回きり。
それから朝起きてからとにかく小を1回だすことが、目標になりました。
夕方までまだというような日は、とっても心配で落ち着きませんでした。
何日か苦しみ、なんとか1日3回くらいのペースになったときは、ずいぶん気が楽になりました。


食事も小生には耐えがたいものがありました。
病院のメニューというのは全体的に薄味です。
これが小生にはとてもまずく感じ、食欲もまったくわかないのです。
ひんぱんに残しました。
苦肉の策で、毎日プリンとヨーグルトを買ってきてもらい、食事の不足分をカバーしました。
カップラーメンを思いっきり食べたいなと思いつつ、窓を眺めたものです。


耳の中の髄液の固まりは、毎日少しずつ薬を流し込みやわらかくしてから細いバキューム管で吸い取ることができました。
12月下旬、今年も終わろうとしています。
今年のクリスマスは1人ベッドの上で過ごすことになってしまいました。
子供達も寂しいクリスマスを迎えているのでしょう。
長男には前からほしがっていたカセット式のウォークマンを、次男には電動鉛筆削り器を買ってあげたと妻から報告を受けました。
父親のいない寂しいクリスマスを少しでも元気づけてあげたい妻の親心でしょう。子供たちも必死で我慢しているに違いありません。
「ごめんな、おまえたち」病院のベッドの上から家族にあやまりました。


12月の8日に最初の病院に運ばれてから20日あまり、一度も頭を洗っていません。
頭をさわっていたら、ガラスの破片がポロッと落っこちました。たぶん車のガラスの破片でしょうか。
そろそろお正月。
少しでもさっぱりして年を越したいと思って看護婦さんに話したら「頭を洗ってあげましょう」ということになりました。
看護婦さん(正確には看護婦さんを目指して学校へ通っている生徒さん)二人が、寝たままの小生の髪をやさしく、丁寧に洗ってくれました。
そのときの、看護婦さん。まさに天使のようでございました。


当初心配された事故の後遺症もあまりなさそうでした。
容体のほうもここのところ落ち着いています。
1ヶ月間はベッドから起き上がってはいけないということでいたのですが、その後起き上がるときはコルセットを腰にまかなければなりません。
そのコルセットの型を取るために採寸を行ったのです。
ベッドの横に、何週間ぶりかに立ったときは足ががくがくしてきちんと立っていられませんでした。
ささえてもらい、何とか採寸は終わったのですが、人間は1週間でも寝たきりだと足の筋肉はずいぶん落ちてしまうのだそうです。


点滴と治療、検査の毎日。
状態が良いときほど退屈な一日でした。
会社の人たちも時々きてくれ、退屈な毎日に勇気くれました。
今はただ日にちの過ぎるのを静かに待っている毎日という感じでした。
手術もすることもありませんでしたので、このまま良くなっていくものとばかり思っていました。


年が明け、だいぶ落ち着いてきたということもあり個室から大部屋へ移りました。病院の先生のお話によると脳を打っているので、「てんかん」の発作が心配で注意して診ているということでした。
事故から1ヶ月経過したある日のことでした。
このまま順調にいくものと期待していた小生ですが、またまた大変な事態にぶち当たることになるのです。
やはり、そんなに順調にいくはずはありませんでした。



次回「新しい年を迎えて」に続く。