電算と電子組版どう違う?

印刷会社でのスタートです。
平成2年2月23日、印刷会社に入社しました。
従業員200名を超える印刷会社としては県央でも大きな方に入ります。小生は面接のときに希望したOA部門に配属されました。
技術部OAセンタというところで、約20名の部門です。
印刷の原版を作るための頁(専門用語で版下)を、パソコンやらワープロなどで入力、レイアウト作成を行います。
先に記述しましたリョービの写植教室の時から、電算写植と手動写植の違いはわかるのですが、電算写植と組版機の違いがよくわかりませんでした。
リョービにも組版機があったのですが、写研の電算写植機と違いがわからないです。このことは、小生のOAセンタでのそれからに大きく影響を与えました。
というのは、実は面接の際に「手動写植は当社のOA部門では拡張する予定はないので電算ではどうか。」と言われ、「はい。結構です。頑張ります。」と答えたのです。
面接担当者→OA部門の責任者(技術部部長)→OAセンタの現場責任者(当時はT主任)に伝わっていくうちに「今度入る○○君は、電算写植希望」という限定的な言い回しになってしまったのであります。


当時OAの機器構成というと
電算写植(写研) 4台(専任担当者4名)
手動写植(写研) 2台(専任担当者1名)
FX組版機(東レ)6台(専任担当者6名)
J−STAR組版機(ゼロックス)3台(専任担当者3名)
HITCAP組版機(日立)3台(専任担当者2名)
EZPS組版機(キャノン)2台(専任担当者2名)
トスワード(東芝ワープロ)3台(専任担当者2名
ワードパル(日立ワープロ)3台(専任担当者1名)
マルチ(三菱ワープロ)2台(専任担当者2名)
PC98(ワープロ一太郎)2台(専任担当者なし)
ざっとこんな感じの構成でありました。


仕事の入り具合はというと、メインはFXで、新聞的なものから帳票と呼ばれる各種伝票、はがき、名刺など毎日残業するほど忙しい機種でした。
その次が、J−STARあたりで、A3サイズの図面のようなものをよくやっていました。
電算写植はなんと4台に4人のオペレータがでーんと構えておりました。三菱のマニュアルをすごい勢いでこなしていたらしいのですが、小生が入ったときは下火になっており、そんなに忙しいほどではなかったように思います。
でも、小生が電算を練習するには1人どいてもらわないといけません。このことは、オペレータ達には抵抗があるらしく、言葉には出さないけれど「何で電算にきたんだよお」という態度がチラチラと感じられました。
またある時、なんかの拍子に「なんで4人いるのに補充されてきたのかしらね」と、話しているのが聞こえてきて、小生のデリケートな胸を痛めつけたものでした。
自分自身も「なんでだよ。あいている機械もあるのになあ」と思いつつも、決められたものだから、言われたように頑張るしかありませんでした。
仕事のない日は、練習させてもらえるのですが、仕事が入ってきているときはマニュアルで自習です。場所も別の作業台のようなところでいやな毎日でした。
それでも大塚の写研の本社でやる講習4日間ほど行かせてもらいました。
帰ってくると、また自習の日が何日か続きました。
一ヶ月ほどたったある日、「これじゃやる気がでねえ」と意を決して、主任に手紙を書いたのです。
「これでは、せっかく講習をうけさせていただいても練習もろくにできません。電算写植にはこだわりませんので、何かやる仕事はないでしょうか。他の機械でも結構ですが」と。


翌日、主任から回答が!
「いやあ、他の機械でもよかったんですかあ。自分は、上から電算で鍛えてくれと指示されたもんだから電算しかできないのかと思ってましたよ。」
ゲッ。

「実は、これは自分(主任)がやろうと思って、買ったデータ管理用ソフト(大塚商会から発売の”パルスーパープラス”)なんだけど、忙しくてなかなかできないんだ。これをやってみてくれないか。」
データベースソフトでありました。そのころ「d−BASE」が有名だったと思います。
早速マニュアルを読み、OAセンタの機種ごとの作業名、外注手配、作業工数のデータを管理するためのフォーマットを作り、月ごとに集計し紙に出力するというのを作りました。
いま考えるとよくスムーズにできあがったなあと不思議なくらいです。そのときは、まだMS-DOSも知らなかったのですから。
おまけに、月締めの集計、出力の作業をマクロ機能(ボタンを押すだけで全部を自動実行する機能)で作ったもんですから、主任がびっくりしまして会社内でも相当な反響がありました。
それだけ、社内のOAレベルが低かったのかも知れません。


そんなことから、取合えずPC98の担当ということになりました。
作業管理をやりながら、一太郎ワープロを毎日やることになったのです。あの手紙を書かないで、我慢していたらずーっと電算写植で同じ苦しみが続いていたでしょう。
「書いてよかったあ」と、思いました。
一太郎の仕事は、そんなに頻繁にはきませんでしたが、管理の作業は毎日ありましたので、やりがいがありました。
休みの日には、図書館に行き、パソコンの本を手当たり次第に借り、そして読みました。書店にもこまめに足を運び、パソコンの本を見つけては買いました。MS-DOSのこと、その他いろいろなことを独学で覚えました。
そんな感じで頑張っていたところ、突然大変な仕事が一太郎に入ってきました。
6月頃だったと思います。



休みのたびに図書館にいっては、本を探していました。新しいことを発見するたびに大きな喜びとやる気が沸いてきたものです。

次回「PC98での大活躍!」に続く。