甥ッ子が結婚することになりました。 小生の兄弟の一番上の兄が田舎の家を継いでいるわけですが、その次男坊は地元の高校を卒業した後、東京の池袋に出てきて美容師を目指していたのです。今風にカッコ良く言えばヘアーデザイナーの卵という訳です。 子供の頃からおとなしい性格で、大東京の荒波にもまれて大丈夫かいなというような感じの子でしたが、どっこい黙々と頑張っていたのであります。 まだ赤ん坊のときに小生は別れてきたのですが、数年前同じく兄の長男の結婚式に田舎へ帰ったとき、彼も付き合っている彼女を連れて帰ってきていました。 そのときの彼のヘアスタイルは非常にインパクトがありましたよ。 お母さんもビックリ仰天のジャマイカ風レゲエスタイルだったのです。 細くちりちりにカールして細くまとめられてなびく髪の毛。 さすがは美容師の卵だ、流行の先端をいっているんだなあと妙な納得をしたものでありましたが、話を聞くとなんでもパーマをかけるために焼き鳥の櫛を使って巻いたんだそうで、相当手間かかっているみたいでした。 実家に集まった兄弟たちの中でもひときわ目立ちました。 堅物の兄(彼の父親)は相当なカルチャーショックを受けたんではないかと思います。 これが都会で流行している最新ファッションなのだと一同納得したものでありました。 話は戻って・・・ そんな彼の結婚式は、港区青山の教会風結婚式場で予定されていました。 電話の向こうで兄の言うことにぁ、「披露宴の司会をお前に頼みたいんじゃがたのむよ。」ときたのです。 何しろ兄弟で関東方面に来ている者と言えば、茨城県の弟と小生だけであります。 そう言っちゃわるいけど、神奈川の方がなんとなく垢抜けているのは一目瞭然のこと??。(弟よ申し訳ない、怒るなヨ・・) 実家の両親が小生を頼りにするのは無理がないことでありましょう。(と解釈したのです) 昔からやや目立ちたがりの要素は少しある小生のことであるし、この大事なイベントの進行は自分しかいないだろうと思ったのでありやした。 引き受けたはいいが、青山の教会というとやはり緊張感は否めません。 なにしろ原宿表参道で華麗な結婚披露宴の司会である。 なかなかこんなチャンスはない、というより恥をかかなければ良いが・・・。もちろん披露宴の司会は生まれて初めてであります。 また、会社の同僚や上司から披露宴で失敗した話やお客様の失敗話など何度も聞いておりました。 親戚一同の前で、恥だけはかきたくないもんだなあと不安な気持ちにもなりました。 まあ、心配しててもしょうがないや。さすが、神奈川の都会人といわれるように頑張らなくては。 まず本屋さんに行って式辞・スピーチの本を1冊買い求めました。 それを読みながら、学生時代のテスト前のレポート作成の要領でまとめていったのです。 一番最初、新郎新婦の入場を知らせる挨拶から、せりふをそのままシステム手帳に書いていきました。 自分の紹介もしっかり盛り込んで。そして、自分は新郎の身内であるのだが、披露宴の司会ということで敬称を遣わせていただく旨も書き込みました。 大事な点は赤色で、難しい漢字は避けるようにして。 一通りの進行手順をまとめてそれをマニュアルに作成したのです。 一度、甥っ子にも会っておかなければなりません。 披露宴の1ヶ月くらい前だったでしょうか。連絡をとって、甥っ子のアパートがある池袋まで出向き、当日の打合せをしました。 祝辞をお願いしてある人の肩書きと名前、またカラオケをお願いしてある人の名前、曲名なども全部確認し、メモをとりました。 その後で、式場まで一緒に行き、当日の会場も下見させてもらいました。 教会風の式場は初めてでしたが、なかなかいい雰囲気の式場です。 披露宴の会場も、ちょうど空いている時間でしたので拝見することができました。 シャンデリアの輝くそりゃまたきらびやかな会場です。司会用のライトテーブルがなかなかカッコイイところでした。 事前に見ておくと見ていないでは気持ちの余裕が随分違いますわ、そりゃ見ないよりは見たほうがいいでしょう。 「ああ、この場所で新郎新婦の感動とはまた違う感動を味わうことになるのだろう」と、胸が高鳴るのを覚えたものです。 心の準備も、進行の手順のほうも準備万端整っていよいよ1週間ほど前という日のことです。 タイミングの悪いことに、風邪を引いてしまったのです。普段なら風邪をひいたぐらい別にどおってはないのですが、これが大変な事態になってしまいました。 小生の人生、学生の頃から間が悪いことって時々おこるのです!! (原宿表参道<後編>に続く) |