パソコン奮闘記
(その1 出会いと入門編)

今回のお話は小生のパソコン奮闘記と題しまして、パソコンとの出会いから振り返って見ようかなと思います。
一番最初にキーボードなるものに触ったのは、学生服屋さんでワープロを購入しDM用の名簿を入力する事になったときでした。お店でその業務を任されることになり、購入先のお店から先生が来まして2日間くらい教えてもらいました。なにしろ、まったくの素人でしたのでキーの位置がなんで「あいうえお順」に並んでいないのかが不思議で仕方ありませんでした。それでも入力するのが楽しくて楽しくて、毎日毎日名簿を入力し続けたのです。そのうちに、同じ住所が何回も出てくるのに気づき、説明書を見ながら「単語登録機能」という便利なものを知りました。また、はがきに文章を作るときに、POP調の値段を入れたくて、数字の「外字」も作りました。
そんなワープロがほんとにおもしろくておもしろくて。

記念すべきマシン8801MAです。


最初に買ったパソコンは、NECの8801MAという機種でした。
NECの9801というパソコンが全盛の頃で、国内の75パーセントくらいまでをNECパソコンが占めていた時代です。
9801の下のランクでパソコンの入門期といったところのものでした。
小生もそんなことはあまり分からずに、ただ自分で買える値段で選んだようなものです。
当時は中に入っているソフトもたいした物が入っているわけでもないのですが、ワープロを一緒に買いました。
もともとパソコンを買う動機というのが、ワープロをやりたかったのです。
ワープロを使って、新聞を作ったり、とにかく紙に出力するのが好きでした。
学生服さんでワープロを使い名簿やDMのハガキなどを印刷したりするうちに、もうたまらなく自分でも買いたいと思ったのですが、ワープロ専用機を買うよりはパソコンのほうがもっといろんなことができると思っていろいろ物色しているうちに雑誌で、NECが新しいパソコンを発売する広告が載っていたのです。
価格は当時で15万円くらいでした。
それになんとワープロソフトが4万円です。それとプリンタがやはり4万〜5万くらいでしたね。
今のようなカラーインクジェットプリンタはなく、白黒のインクリボン式のものです。
印刷できる幅はA4幅サイズで、B4用紙に印刷しようとすると幅が4〜5センチくらい余白ができてしまうという始末で、今では考えられないくらいの商品をメーカーは平気で販売していたんですわ。
それでも、キーボードをたたいて入力し、紙に出力できるという喜びは大きな物でした。


ワープロは、北海道のソフト会社で、確かデービーソフト社製のP1(ピーワン)というソフトです。これは、すぐれたソフトでしたよ。
当時、パソコン用のワープロソフトの代表格は「一太郎」でした。
これは、16ビット用のソフトなので、小生の買ったパソコンでは動かないのですが、9801マシンのユーザーはほとんどが「一太郎」を使っていたのです。
でも、「一太郎ver3.1」は縦書きはもちろん、斜体さえできないワープロでした。
ところが、P1(ピーワン)はできたのです。
縦書き、斜体、その他の文字装飾などができたので、機能的にはいいものでした。
小生はそれが当たり前のように思っていましたので、後に「一太郎」の機能を知って、意外な気がしたものです。
8801はメモリが128KBだったと思います。
今のパソコンは128MBくらいが普通ですから、ほんとのおもちゃみたいな感じですよね。
ハードディスクもついてなかったんです。
ですからワープロをやるときは、実行用のフロッピーディスク(そのときは5インチのぺらんぺらんの紙のようなフロッピーです)をドライブに差し込んで、文書を作ります。
そして、プリンタに印刷するときは、もう1枚のフロッピーディスクに差し替えてやるのです。おもしろいですよね。
まあ、そんなワープロでも結構楽しくていろいろ作りました。
子供会の連絡網などはB4の用紙に出したんですが、なかなかいい出来栄えと自己満足したものです。
新聞のように段組でレイアウトをしたりするのが結構得意でした。
ほんとの自己流ですから、最初から「かな入力」を練習したんです。
今考えると随分難しい練習をしたものです。
ローマ字入力のほうが全然簡単ですよね。そのときは、そのことに気がつかず必死で、指のポジションの「ちとしはまのりれ」と、訳のわからない文字列を呪文のように繰り返したのでした。


ワープロの他に、雑誌に載っている投稿の自作ゲームプログラムをそのまま入力してゲームを実行させるということも一生懸命やりました。
これがまた根気のいる作業で・・・小生の買った8801マシンは、N88日本語ベーシックが入っていたのです。今のパソコンに入っているWINDOWSの代わりです。
そんな関係で、そのゲームプログラムもベーシックのコーディングなのです。

10 FFFF0000FFFF0000FFFF0000FFFF0000FFFF0000FFFF0000
20 11110000AAAA0000CCFF000011111111CCFF000011111111


というような文字列がページ幅いっぱいにしかも数ページに続いているものです。
それをそのまま1文字づつ入力していくわけですね。
コーディングの頭の部分に番号がついていて、だいたい10づつ大きい番号をつけていきます。
これは、後で修正したり追加するときなどに割り込ませるためです。番号が10000くらいになるのもざらにあるのです。
何日もかけてやっと入力が終り、「さあ、実行」と、
RUN ××××(プログラム名)とコマンドを入力してリターンキー!
ウンともスンともいわない!!!
ありゃ・・・。
泣きたくなります。
こういう場合は、入力したどこかの文字が違っているのです。
マーカーで塗りつぶしながら、1行ずつ確認していくのです。
そりゃあ根気がいりますわな。
でも、なんとか間違い部分を見つけ出し修正をして実行できたときはニコリ!ですね。
感動もんです。自分で自分を誉めてあげたいくらいです。
何回確認しても、見つからず諦めるプログラムも結構あります。


そんな挑戦で成功したゲームには、
ドラム缶が魚雷をよけながら海のそこまで沈んでいくゲーム、だいたいはよけきれずに爆発してしまうのだけれど、頑張って海底までたどり着くと「成功!!」の画面が出る。

ミサイルが発射された弾道予測を決め、迎撃弾を発射して撃ち落す。
何回も失敗すると味方陣地に着弾されてしまう。

星が一面にちりばめられた画面を、あたらないように方向を変えながら向こう側まで飛行する。成功すると星の数がどんどん多くなっていく。
などなど。

そんな事をしているうちに、横浜の写植組合主催の教室に通うことになり、先生とパソコンの話などするうちに、「エムエスドスとかなんとかいうの知ってます?」って聞かれ、「それってなんドスか?」(寒!!!)てな感じで何にも知らなかったんですね。
まあ先生も実はパソコンはあまり知らなかったようです。
その後、藤沢市の印刷会社に入ってから、PC98に関るようになりさすがに「なんドスか」とは言わなくなりました。
パソコンのことで、ひとつひとつ知らないことがわかってくると、また嬉しくなり毎週図書館に行っては、パソコン関係の本を借りては読みました。
フロッピディスクがドライブの中で、回転するのですけれど、その様子は「水面から1メートルのところをジャンボジェット機が飛んでいくのとおんなじだ」という文章を読んで感心したものです。
それぐらいフロッピーの磁気面と読み取るヘッド部分はすれすれの位置関係にあるのだといいます。

会社でPC98を使っているときに、「一太郎のヴァージョン4」が発売されました。
そのバージョン4は、もっとも売れたといわれるバージョン3.1に比べいろんな機能が上がりました。
といっても、斜体ができるようになったなんてのはたいしたことじゃないと思うのですが、同じメーカーの図形作成ソフトの「花子」で書いた図を、一太郎のページに取りこめるというのは画期的だったのです。
今のワープロは当たり前のことですが、当時はすごいことだったのです。
実はこのころから、「MS−DOS」というOSソフトが単体で発売されるようになりました。
それまでは、それぞれのアプリケーションに付属でついていたようです。そんなに大きなプログラムではなかったんでしょうね。



次回 パソコン奮闘記<その2> に続く