パソコン奮闘記
(その2 2台目はノートブック編)

今回は前回からの続きです。小生のパソコン奮闘記と題しまして、パソコンとの出会いから振り返って見ようかなと思います。
<前回のお話>
学生服屋さんにいるとき、初めてパソコンなるものを買いました。ワープロを練習していろいろ楽しく、また研究研究で・・・ある意味「出版」ということが好きだったんです。印刷会社に入って、本格的にPCという世界に携わることになったわけです。
NEC社のPC8801MAで、日本語ベーシックのプログラミングのコピーに熱中し、また外字の作成を組み合わせて年賀状にペイント画像を印刷したりといろんなPCを勉強していったのでした。
今では懐かしいEPSONのノートブック。画面に表示されているのが一太郎の起動タイトルです。



HITCAP(HITACHI製の組版機)についていた頃、2台目のパソコンを買うことにしました。
機種はエプソン製のノートブック型パソコンです。
それまで、卓上型だけど結構重く、気軽に持ち運べるわけではないラップトップ型というのがあったのですが、もっと軽くバックに入れて持ち運べるノート型が出始めた頃です。
機能的には、CPUが486SX(そのときはペンティアムはまだで486DXが最高速でした)、ハードディスク200MB、メモリは標準で1.6MB+4MB増設=5.6MBとまあまあのところだったのです。モニターは白黒液晶です。
OSはWindows3.1が全盛の時です、が白黒なので細かいアイコンは見にくいだろうと思い、MS-DOS5.0を入れました。
アプリケーションは今のパソコンと違い、何にも入っていないので「VZエディタ」9800円、「一太郎5.0」40000円、「Lotus1−2−3」40000円、結構高かったんですよ。
インクジェットプリンタを入れて総額40万ほどでした。


このときは、何を目的に買ったかというとソフトでわかると思うのですが、Lotus1−2−3で表計算を覚えたかったんですね。
HITCAPグループはその当時4台でスタートしたのですが、ものすごく忙しく1年後には12台くらいにもなっていました。
オペレータも同じ人数ついていました。
それでも仕事が消化しきれないのです。仕事毎に作業時間を記入した記録票を物件別に計算・集計して見積の作成に使うのですが、これがまた手動で計算するのがたいへんでした。
責任者である小生がそれを集計していたので必要を感じていたのですね。
表計算ソフトを使っていたわけではないのですが、マニュアルを読みながらフォーマット(雛型)を作って仕事別・校正出し時点の合計作業時間が自動的に出てくるようにこしらえたのです。
同じ部署にwindowsのPCがあり、Lotus1−2−3のWin版があったのですが、入力の反応が鈍かったんです。
それに比べてMS-DOS版は早いこと、早いこと!
これはほんとです。
それから毎日その入力をするために、使いました。ですから、毎日持って通勤したのです。
これもまた考えてみると大変な重労働!!やっぱり家でも使いたいしね。
それと便利だったのは、フロッピーディスクのフォーマット(初期化)が早かったのです。


HITCAPは作業をフロッピーディスクでやっていました。
1.2MBのMS-DOSフロッピーです。フロッピーディスクは最初にフォーマット(初期化)しないと使用できないのです。1冊のマニュアルで何枚ものフロッピーディスクを使いますので、どんどん新しいフロッピーディスクを買います。
HITCAPの機械でフォーマットすると、約2分かかります。それが小生のノートブックだと50秒くらいで完了!ほんと早かったなあ。
今のパソコンは逆に遅いですよねえ、フォーマットの機能はWindowsになっても全然進化してないんでしょうねえ。
ハードディスクが大きくなって、フロッピーディスクを使わなくなりましたし。
まあそんな訳で、とにかくフォーマットは便利でした。
それとデータのコピーも。
フロッピーの保管データを貸し出し(お客様にですけど)のときにも、HITCAP機ですと1個ずつ画面上でつまんでコピーさせないといけないんですが、面倒くさい!
これは、VZエディタのファイラー画面で、全部一緒に選択してコピー、操作1回で完了なんです。
また、MS-DOSの画面で、copy A:*.* b: で一発コピーです。
HITCAPの作業には、欠かせなくなり小生の機械の側に、絶えず置いて使用しました。


HITCAP時代のなかで、メンバーもいろいろな人が入り、やめたりと入れ替わりましたが、その中にO君という人がいました。

HITCAP担当時の反省記には記載しておりませんでしたが、実はこのO君はパソコンに非常に詳しい人だったのでです。
もちろんO君は、パソコンを持っていました。
機種は80286マシン(PCUがインテルの80286仕様のパソコンで、NEC社製のPC9801の初期のもの)ですが、CPUアクセラレータを取りつけて、386クラスのスピードを出せるんだといっておりました。
小生がノート型パソコンを買ったときも、MS-DOS→VZエディタ→一太郎とインストールしていったのですが、次のLotus1−2−3でトラブッてしまい、彼の助けを借りたのでした。
彼は持てる知識をフル回転させて、一太郎のインストール時に書きかえられてしまったconfigファイルを書きなおしてくれ、うまく成功したのです。


そんな彼が、ある日小生に「LaTeX」の話をしてくれたのです。
それは小生が初めて聞くタグ付き文書だったのです。
「LaTeX」の専門書も持っていました。
何百ページもの文章を、あっという間に組版してしまうという話に、「これはやってみる必要があるな」と、思いました。
丁度性能のいいパソコンも買ったし。
彼のパソコンの師匠(彼は先生と呼んでいました)といわれるK氏が、「日本語対応のLaTeXソフト」を持っている、フリーソフトなのでコピーしてくれるというのです。
アスキー出版社から、1万円で市販されているのでフリーソフトじゃないんですが、K氏が自分が修正を加えたものだから、自分に著作権があるとかなんとか訳のわかんないようなことを言っていました。
アスキー社の仕事を請け負って、ソフトの検証・モニターみたいなことをやっているとも言っていました。
実はO君もその「LaTeX」をコピーしてもらっていたのです。


某休日、ノートパソコンを持って、待ち合わせの駅(ちょっと忘れてしまったが多分小田急線の藤沢本町駅)に行き、近くの喫茶店に入りました。席に座って、まず「LaTeX」の能書きをうんちく・・・。
インストールの手順を紙に出力してきてくれたのです。が、いきなりそんなこと言われても小生にはなんのことやら、「いれてもらえませんか?」と頼むと、K氏はやおら小生のパソコンに向かってスタンバイ、「パスきれてる?」「はあ?」。
後でO君に聞くと「パスとは、AUTOEXEC.batファイルに記述するディレクトリ名」だという。いやはや。
K氏は、フロッピーディスクに圧縮された「LaTeX」ソフトを解凍しながらインストールを始めました。
手ぎわよく。
一時間もやっているうち、バッテリーがなくなってしまいました。
その後、フォントを自動的に作成するbatファイルをもらい、実行方法を教えてもらいました。
それを終れば、いよいよ「LaTeX」をやることができるのです。
「ただし、自分がついてて教えるわけにいかないので専門書を買ってきて自分で独習しなさい!」


文章の始まりと終りをタグで囲んで、属性を設定させ、それによって組版するというものでした。
思うと、電算写植のやり方と似ています。
ちょろっと経験があったので、あまり抵抗なくはいっていけました。・・・と思ったのですが。
これがまた、なかなかうまくいかないもんでした。
そのソフトに付属しているマニュアルと違い、親切に教えてくれる本じゃないので、しょっちゅうエラー!しかも、そのエラーメッセージが英語で言ってきやがるではありませんか。これにはまいりましたわ。
でも、なんとかかんとか文章を画面に表示させるところまでいくと、いろいろわかってくるようになりました。

どうせなら、この「LaTeX」の入門編を作ってみましょうと、またまた小生の好奇心が湧き上がってきたのです。




パソコン奮闘記その3に続く。