生粋のニューヨーカー
1949年生まれ、アメリカ、ニューヨーク州出身のヴォーカリスト、ピアニスト、作曲家として活躍。1971アルバム『コールド・スプリング・ハーバー?・ピアノの詩人』でデビューしますが、映画『再会の街で』でも紹介されている通り、このアルバムは、レコード会社が独断で元の録音テープの再生速度を上げて発売されてしまいます。とんでもない話ですが、レコード会社には、アーティストの芸術性を理解できない人間が多いという事を物語っているようなエピソードではあります。1973年に『ピアノ・マン』発表後は、実力が認められ、レコードセールスも順調に伸び続け『ストレンジャー』『ニューヨーク52番街』などの名盤を発表し、グラミー賞を受賞するなど、ブルース・スプリングスティーンや、ジャクソン・ブラウンなどと並んで、アメリカを代表するミュージシャンとしての人気が決定的になります。アルバム『グラスハウス』も大ヒットを記録し、シングルカットされた『ロックンロールが最高さ』は、彼にとって初の全米1位を記録したシングルレコードになりました。
人気も絶頂だった82年、バイク事故による長期の入院、離婚など、様々な試練がビリー・ジョエルに訪れます。この影響で、アルバム『ナイロン・カーテン』は、ビリー・ジョエルのアルバムの中で最も内省的なアルバムになりますが、人間の心の負の部分も正面から見つめたような作品は、これまでのビリー・ジョエルの枠を超えた作品として、評価の高いアルバムになりました。この作品の後も、コンスタントに質の高いアルバムを発表し、ブルース・スプリングスティーンとともに、最もアメリカ人に愛されるアーティストとして活躍を続けています。
ニューヨーク生まれで、ニューヨーク育ち、生粋のニューヨーカーであるビリー・ジョエルの音楽性は、ニューヨークの臭いが感じられる都会的なサウンドで、リズム&ブルース、ロックン・ロール、ジャズなど、様々なタイプの音楽スタイルを取り入れながらも、必ずニューヨーカーらしさが感じられます。ウエストコーストサウンドのミュージシャンと比べると、やはり洗練された輝きがあり、ピアノマンであることの誇りが感じ取れます。作曲家としては、寡作で、1年に10曲ほど作るのがやっと、というインタビュー記事を読んだことがありますが、どの曲も完成度が高く、作曲に関して妥協しない姿勢がうかがえます。良くも悪くもニューヨーカーという事で、ケンカが凄く強くて、短気な性格とも言われていて、事故による長期入院の際も、ケンカで大怪我をして入院しているという憶測も飛んでいたのを覚えています。最近はクラッシク系の音楽での創作もはじめたようなので、穏やかなニューヨーカーになtって、ケンカはしないで欲しいですね。