私のアトピー体験記 (My Experience of Atopic Dermatitis)
私はステロイド剤を多投しすぎてしまったために、免疫力が低下してしまいました。ステロイド剤がなくなっては皮膚科へ行き、ステロイド剤をもらってはまた塗布し、なくなったらまた皮膚科へ行く、という生活を16歳から23歳くらいまで繰り返していました。
私の家族でアトピー性皮膚炎を患った者はいません。私だけがアトピー性皮膚炎にかかってしまいました。私は遺伝でアトピー性皮膚炎にかかったわけではないのです。ということは、「アトピー性皮膚炎とは?」のページで述べたように、アトピー疾患ではないということになります。
そんな私がアトピー性皮膚炎にかかった背景には乳児期の環境が悪かったということが挙げられます。私が生まれたとき、私の家庭は豊かではありませんでした。立派な家に住めずに、小さな団地の最上階に住んでいました。夏になると、団地の屋上からの照りつける太陽の熱が私の住んでいる家の階まで下りてきて、部屋はサウナのように蒸していたそうです。そのなかに、私は一人置き去りにされていることが多くあったそうです。蒸し暑い環境の中で、私は自然と全身を掻いてしまっていたみたいです。当時はクーラーなどという便利なものがなく、扇風機だけで夏の暑さをしのいでいました。このような劣悪な環境で乳児期を過ごして体中を掻いてしまったために、アトピー性皮膚炎にかかってしまったと思われます。
小学校のころになると、夏にはひざやひじの内側などに湿疹が出てしまい、それを掻いて悪化してしまいました。特に、海に入ったあとは全身がほてった感じがして、全身が痒くなってしまうときもありました。そして、冬には乾燥しているため唇の下をなめてばかりいて、唇の下が荒れてしまいました。そんな状況にもかかわらず、私は病院には行きませんでした。その理由としては、季節が過ぎれば治ってしまうものだったので、放置しておいたからです。
しかし、私はアトピー性皮膚炎、そしてステロイド剤にめぐり合うことになったのです。
私が最初にアトピー性皮膚炎だと診断されたのは、高校生のときでした。それまではステロイド剤の存在を知りませんでした。多少のかゆみがあっても少しは掻いたりしましたが、我慢していました。この我慢を続けていれば、私はこれから起こるアトピー性皮膚炎による苦しみを味わうことがなかったのかもしれません。しかし、運命は私を苦痛と恐怖の道へと導いたのです。
高校のとき臨海学校に行くことになりました。臨海学校といえば当然、海に入ることになります。前述のとおり、私は海に入ったあとに痒くなるので、保健室の先生にそのことを相談しました。そうしたら、先生は一度皮膚科に行って診てもらったほうがいい、と言いました。これが悪魔のささやきだと誰が思ったでしょうか。私もそうしたほうがいいと思ったほどです。
最初、皮膚科に行ったとき、私はアトピー性皮膚炎だと診断されました。このとき、私は初めてアトピー性皮膚炎という病名を知ったのです。そして、ある薬をもらってその日の検診は終わりました。その薬こそがステロイド剤だったのです! そんなことも知らずに、私はその薬を塗りました。
そのときの医者は、私に対してステロイド剤の副作用に対する説明もないまま、「この薬を塗ればかゆみが治まるよ。」という感じでステロイド剤を渡してくれました。そして、私は皮膚科の医者の言うことを信じて、ステロイド剤を塗りました。確かに塗ればかゆみが消えていき、自分でもいい薬だと思って塗っていました。
しかし、最初の頃は1、2本程度だったステロイド剤がだんだんと本数も増えていき、チューブのサイズも小さいものから大きいものへ、ステロイド剤の効き目も強力なものへと変わっていきました。それでも、皮膚科を信じて、この薬を塗ればアトピーは治ると信じ続けて塗布していました。でも、一向に治る気配はなく、このままでいいのだろうかという疑問が湧き上がっていたのです。
そのうち、私の塗布している薬がステロイド剤だとわかり、副作用があることもわかってきました。でもそのときには、もう時すでに遅し、でした。副作用があるとわかっていても、ステロイド剤を塗布しなければ生きていけなくなってしまっていたのです。ステロイド依存症にかかってしまっていたのです。
副作用があるのであまりステロイド剤を塗るのはやめようと思い、少しの期間ステロイド剤を塗らないでいると、突然襲ってくる頭、顔、首、ひじの内側やひざの内側などの関節部のかゆみ・・・。まさに、見えない恐怖との戦いでした。見えない恐怖と戦うことほど恐ろしいことはありません。掻きたくても掻いてはいけないと自制した回数は計り知れません。自然とかゆい部分を掻いてしまい、気が付くと血がにじんでくるまで掻いてしまう日々もありました。また、寝ている間に掻いてしまうこともあり、朝起きたら枕に血がついていたという日もありました。こうなってしまうと、ステロイド剤を塗る以外の方法でしか自分を抑制する手段がなかったのです。
そんな私に、妹がステロイド剤を使用しないでアトピー性皮膚炎を治療しているという場所を紹介してくれました。そこは病院ではなく、なんとエステでした。女性が美しくなるために通う場所でアトピー性皮膚炎の治療も行っているところでした。私はエステでアトピー性皮膚炎を治しているということが疑わしかったですが、私の症状を見てきた妹が言うことなので信じてみることにしました。そのエステでは栄養補助食品を売っているというので、それを買って、試しに飲んでみました。
飲んだその次の日、いきなり会社に泊まったということもあるのでしょうか、顔の左頬のあたりに黄色いうみ見たいもの(リンパ液)がポツリポツリと出てきました。その栄養補助食品は、体に蓄積している悪い物質を外へ出すような働きをする、と聞いていたので、私は悪いものが出てきたのかな、と思いました。しかし、その次の日には黄色い液が左頬だけではなく、右頬にまで進展していました。たったの2日でこれだけのリンパ液が出てくるなんて思いもよりませんでした。そして、1週間後にはこんな状態になってしまいました。
そのため、会社を2ヶ月半も休職。その間は顔のマッサージをしてもらうためにエステに行く以外は、何もすることができませんでした。というより、何かをする気力すらありませんでした。リビングのこたつ、あるいはベットでひたすら横になっているか、そのまま寝ているだけの時間が虚しく過ぎていくだけでした。横になっていても掻いてしまう衝動が突然襲ってくるので、手は必ず両方の指を交互に合わせていました。それでも、母の話では、寝ている間にバリバリと顔を掻いていたみたいでした。
顔からは大量のリンパ液があふれ出て、それが固まり私の顔をふさいでいました。それが強烈な異臭を放つのです。リンパ液の鼻にツーンとくるあのにおいは、今でも忘れられません。顔面は皮膚がむけた状態の赤い場所とリンパ液が固まった黄色い場所が共存しているような感じになっていました。
また、口も開けられない状態でした。口を開けるためには頬の皮膚を伸縮させなければいけません。しかしその皮膚がない状態なので、口を開けようとすると痛みが生じ、少ししか開けることができませんでした。そのため食事は、ご飯はおかゆにしてもらい、固形物はほとんど食べませんでした。そのため食事の量は減り、2ヶ月間で体重が5kgも減りました。
食事の量は減ったのですが、梅干しだけは毎日食べていました。なぜ梅干しを食べていたのかというと、エステで薦められていたからです。梅干しには塩分が多く含まれています。塩分をよく摂るように私は薦められました。普通、塩分の摂りすぎは高血圧、心臓病などを引き起こすためよくないと言われています。しかし私のようなステロイド剤を多投した人間は、副腎の機能が弱くなっています。そのため塩分を摂って血圧を上げて、体を活性させたほうがいいと言われました。そうすることによって、体の中に蓄積した悪い物質を排除して、体の中からきれいにしていく機能が上昇すると言われたのです。
さらに、目を開くことができないのにも困りました。どんなに目をいっぱいに開けようとしても、まぶたの上の皮膚に痛みが生じ、目の半分も開くことができず、4分の1程度しか開くことができない目で対象物を見なければならない状態でした。人の顔を見るときには首を後ろにそらし、ちょっとだけ開いた目で見るような感じでした。また、涙もよく流れていました。こんな状態なので、いつも横になっているだけだったのです。
アトピー性皮膚炎悪化からエステには毎週通っていました。そのエステで私がやられていたことは、顔面をマッサージをひたすらしてもらっていました。いろいろな化粧品をつけてはマッサージされ、最後に顔面パックみたいなものをかぶせられたりしていました。でも、そのマッサージが痛い! 皮膚がほとんどない状態の顔をこするので、当然といえば当然です。マッサージをしてもらったあとは、顔にお化粧をしていたので楽な状態になることはできました。しかし、家に帰った次の日には、またリンパ液が出てきて、どうにもならない状態でした。
こんな状態で唯一安堵できたのが、お風呂の時間でした。お風呂では癒されました。当時、私がお風呂でどういうことをしていたかというと、ひたすら顔面マッサージをしていました。洗面器にお湯を入れて、そのお湯を両手ですくい上げて、顔をマッサージしていました。洗面器のお湯がなくなったら、また入れて顔をマッサージ・・・。そんなことを30分くらい、しかも毎日やっていました。そのためお風呂には1時間くらい平気で入っていました。家族のみんなにはその間お風呂に入ることができないため、迷惑をかけたと思います。
そんな状態で、私は1998年を迎えました。依然として顔は腫れ上がったままでした。そして、1998年1月6日の仕事始めの日に、今の自分の状態がどうであるかを知らせる意味で会社に顔を出しました。会社のみんなは私の状態がどうであるかは知っていました。そのため、社員の人が私にアトピー性皮膚炎に効くと言われている温泉を紹介してくれました。そこが秩父温泉だったのです! その人は、秩父温泉には温泉もあるけれど温泉スタンドもあって、そこの水はアトピー性皮膚炎に効くと言われているから汲みに行ったほうがいい、ということまで教えてくれました。
その日は顔を出すだけだったので、そのまま帰りました。後日、私はポリタンクを買って、秩父温泉まで行きました。顔が腫れた状態のまま、ひとりで車を運転して行きました。
秩父温泉には、「皆野町水と緑のふれあい館」と「秩父温泉満願の湯」が隣同士で並んでいます。私は料金が安い皆野町水と緑のふれあい館のほうに行きました。でも、結果的にはこちらのほうがよかったみたいです。なぜならば、皆野町水と緑のふれあい館の方は、掛け流しのお湯だったからです。温泉の源泉がそのまま堪能できました。
そこでも、私は自宅のお風呂でもやっていたことを繰り返していました。そう、ひたすら顔面マッサージです! 洗面器にお湯を入れてはマッサージしました。30分くらい経ったら浴槽に入り、熱くなったら外に出て、また洗面器にお湯を入れては顔面マッサージということを繰り返していました。そのため、温泉には1時間以上いました。迷惑な客ですね。
温泉施設を出たあと、今度は温泉スタンドに行って温泉水を汲みました。20リットル100円という安さも魅力でした。その水は、飲み水や料理の水に使っていました。
温泉水は約1週間でなくなってしまうので、私は1998年の1月から2月にかけて、秩父温泉まで毎週通っていました。しかし、高速代とガソリン代が高くついてしまい、何度も行けなくなってしまいました。
エステに通い、温泉にも通いながら、私のアトピー性皮膚炎は回復へと向かいました。最初は心配そうに見ていた家族もだんだんと顔の腫れが引いてくるのを見て、安心してくるようになりました。そして悪化から2ヶ月半経って、ようやく職場に復帰しました。復帰してもまだ顔の状態が完全には治っていなかったので遅くまで仕事をしたりはしていませんでしたが、普通に生活できるようになりました。
そして今、私はアトピー性皮膚炎から解放されて生きています。ステロイド剤などはまったく使用せずに生きています。アトピー性皮膚炎悪化で学んだことは、ステロイド剤などに頼ってはいけないということです。ステロイド剤治療こそ、アトピー性皮膚炎悪化の根源だと痛感しています。これをご覧になっている方でステロイド剤を使用しているのであれば、すぐに止めてほしいです。止めたらリバウンドが出てきます。しかし、それに耐えてください。私も耐えることができました。大丈夫です。治るという希望を持ってください。治ると信じてがんばってください。アトピー性皮膚炎が治ったあとにやりたいことや楽しいことを頭で創造して、治ると信じてがんばれば、必ず治ります! アトピー性皮膚炎は難病ではありません。私も治すことができたのです。
私は医者ではありませんが、アトピー性皮膚炎を経験した者として皆さんに伝えたいです。希望を持ってアトピー性皮膚炎と戦えば、必ず治るということを。
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