拳キチさんがボクシングに取り付かれた訳
このページは久々の更新です。4月以来7ヶ月ぶり。何かたまたま前のページを読み返したらあんまり
おかしくて爆笑してしまった。「拳キチさんは有名人??」のページは特に笑える。はははっ。
昔のページを見て笑って何か、久々に語りたくなりました。そうそう。私のページがはじまって以来、もう
1年半になろうとしている。まさかこんなに人が来てくれるとは思いもしなかったけど、そろそろ
私めのボクシングに取り付かれた話でもしようかと思う。
私は野球や相撲を見るのがすきで、ボクシングなんて、たまにTVで見るスポーツにしかすぎなかった。
石松とか輪島も見たけど、具志堅の強さは驚いたな。当時の私は中学生にしか過ぎなかったけど、70年代の
ヒーローは知っています。ボクサーって石松にしても輪島にしても具志堅にしてもボクサー顔なんだな。
高校のときに村田英次郎をTVで見たら、何か具志堅や石松とは違う顔をしていた。全然、強そうに見えない
ボクサーだったんだな〜。別にボクシングは顔でするものではないけど、やっぱりイメージってのもあるし・・。
世界タイトルマッチに挑戦する村田のプロフィールが流れると、なんか凄いなって思った。小学校の卒業文集
が出てきて「世界チャンピオンになりたい」と書いてあるのだ。すげーっ。こいつ小学校から世界王者狙っていた
のかぁ。って何か凄い世界だった。そんな村田が挑んだのは、あのバンタム級の無敵王者カルロス・サラテから
タイトルを奪い取ったルペ・ピントール(メキシコ)だった。村田は圧倒的不利と言われながら良く戦った。
足を使って的にならず、頑張りぬいた。14Rだったかな?村田は足が止まってピントールの猛攻にさらされたのは・・。
「ああ・・やっぱり・・。具志堅以外は日本は駄目だぁぁ」って思っちゃった。しかし、最終ラウンド、村田は
大反撃に出る。「い・・行けぇぇぇ!!」村田の必死の姿に私は「小学校からの思い」を感じました。私は
この頃からボクシングそのものより、ボクサーの「思い」に取り付かれたのです。どんなに強くても、どんなに
華麗でも私は本気で引かれない。これは女性に対しても同じかもしれない(笑)見た目、外見より中身なのさ。ひひひっ
村田は中身だけじゃなくて外見もカッコ良かったけどね。ってな訳で村田は大善戦のドロー。勝ったとおもったのに・・
それ以後、私は村田に注目してボクシングマガジンを立ち読みから、少ない小遣いをはたいて購入するようになった。
1981年だったかな・・。あの具志堅が滅多打ちされてリングに沈んだのは・・。信じられなかった。
あの時はショックで1週間は飯を食えなかったな。そして村田の2度目の世界長戦のときがやってきた。
今度は歴代のバンタム級でも屈指の名王者の一人として現在も語り継がれているWBA王者のジェフ・チャンドラー
に挑んだのです。初回にカウンターヒットしてチャンドラーが吹っ飛んだのにロープが後ろにあって、ダウンから
逃れやがったんだ。くそーーっ。これが後に思うと大変なシーンだった。またしても引き分け。あの時、ロープが
後ろに無かったら村田は世界王者だったのに・・。悔やんでも悔やみきれない。
「今度こそ・・」2度も世界王者と引き分けた村田の3度目の挑戦は、その年の12月にやってきた。アトランチックシティで
前回の善戦がうそのように打ち込まれてTKO負け。あの時のショック・・。私のアイドルが負けるなんて
信じられなかった。私は悲しくて悲しくて、悔しくて悔しくて・・。
私はその時に決意したのです。村田の仇を必ず私の手で討ってやると!「まっていろ!チャンドラー!!」
具志堅の奪われたタイトルは渡嘉敷が取り戻してくれたし、後は「私がチャンドラーからタイトルを獲るだけさ。
ふふふふっ」
「日本チャンピオンなんてオラの左のジャブでいちころさ!世界王者ならさすがに右も使わなくてはなるまい」
そう思って入門したが、ボクシングがやってみると難しいものだと知った。日本王者が想像を絶するほど強いとは・・。
4回戦も強いって驚きだった。ボクサーの体力って凄いって身を持って感じました。
かつて村田が敗戦したときの新聞の見だしは「村田、世界は遠かった」だった。私にもしも自分でタイトルを
付けるなら「拳キチさん、世界は最初から無理だった」・・・・。
ふう・・。
てなわけで私はいまだに、はまってます。恥ずかしや・・。身の程知らずでした。
(11月17日更新)
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