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金鑚大師 またの名を元三大師とも呼ばれ、大光普照寺という天台宗延暦寺の別格本山特別寺。 創建は聖徳太子で舒明天皇の勅願寺。 平安時代初期に天台座主・慈覚大師円仁が再興した。 源義家、前九年の役で戦勝祈願をしたほか、 徳川時代には関東三談林の一つであった。 安産や子育て、厄除けとして信仰されている。 |
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金鑚神社1 金鑚神社は武蔵二宮で名神大社であった。 昔は別当寺・大光晋照寺と一体の神仏混交の神社であった。 その証拠には、金鑚神社の参道中ほどに多宝塔が残る。 三間四面の柿葺き、高さ約14mの塔で、国の重要文化財。 天文3年(1534)、武蔵七党の安保弾正全隆が建立した。 |
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金鑚神社3 金鑚神社は日本武尊が東征の際に創始したと伝えられている。 古代においては国司が着任して最初にすることは、 赴任した国内の定められた神社を順に巡ること・・・ 金鑚神社には武蔵国総社、大国魂神社をはじめ、 六所宮の五之宮などが祀られている。 |
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御嶽山1 金鑚神社は拝殿生後ろの山・御嶽山がご祭神。 神社後方よりハイキングコースが付いている。 コースの道沿いには石像や石仏が軒を連ねる。 途中には鏡岩や展望台などがある・・・ |
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御嶽山2 石仏や道祖神を眺めながら途中には鏡岩がある。 八王子構造線上に出来た断層の一つで、高さ4m、幅約9mの大きな岩。 当時は鏡のように光っていたといわれている。 金鑚神社にふさわしいご神体の一部・・・ |
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御嶽山3 頂上直下には石仏が並ぶ法楽寺の跡がある。 少し足元の悪い岩場を登れば、岩峰の展望台。 ここは昔、本山派の回峰の行場であった。 金鑚神社の奥宮が祀られていて、北側の遠望が楽しめる。 岩峰の北側には弁慶穴があるが、付近は崖になっていて、 危ないので、自信のない方はいかない方がよい。 |
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御嶽山4 御嶽山は標高343mの低山ながら、コースには句碑や石仏が並び、 飽きずに上ることが出来る。 季節によってはその季節の植物が目を楽しませてくれる。 少し足に余裕のある方は挑戦を! |
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光福寺 児玉三十三霊場二十九番札所で、曹洞宗のお寺。 天正10年(1582)鉢形城主北条氏邦公により開創。 本尊は釈迦如来、馬頭観世音菩薩。 本尊直下の小円墳に606ケの経石を埋納する。 |
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真鏡寺 西光山真鏡寺という天台宗のお寺。 武蔵七党の一つ児玉党の塩谷氏の居館跡。 本堂裏には土塁が残る。 真鏡寺の開山は渋谷金王丸らしく、墓が残る。 |
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雉岡城址 別名八幡山城跡と呼ばれ、大きな空堀や土塁が残る。 戦国時代に山内上杉氏の居城として築かれた。 永禄年間には北条氏邦によって攻略され、鉢形城の属城になった。 現在は本廓は公園になっている。 |
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浄眼寺 雉岡鑚浄眼寺という真言宗豊山派のお寺。 児玉三十三霊場六番札所で、本尊は雉岡観世音菩薩。 創建が不詳ですが、延徳4年、雉岡城主・夏目豊後守が再興した。 アスピア児玉の裏にあり、境内には大きなイチョウの木が残る。 |
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塙保己一記念館 塙保己一は江戸時代の延享3年(1746)に児玉町保木野に生まれた。 盲目という大きな障害を抱えながら、「群書類従」の編纂や 「和学講談所」の設立等々偉大な事業を成し遂げ、 国学の発展に大きな業績を残した。 (記念館閉館中のため市ホームページより転載} |
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天龍寺 児玉三十三霊場第七番札所で曹洞宗のお寺。 雉ヶ岡城主が開基となり現在の場所に移転した。 本尊は釈迦如来、皇王白衣観音。 山門階上には金屋鋳物師の銅鐘(県文化財)がある。 |
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1.児玉1 2.児玉2 | ||||||||||||||||||
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