
第52話 岡本玄治法印新知拝領の事
1、問 家光将軍様が、病気で思っても見ない、不愉快であったというのは、何時頃
の事と聞かれているか。
1、答 筆者が、聞いているの1633年(寛永10年)と1637年(寛永14年)
の二度切迫した病気であられた内、二度目の病気は、危篤状態で医者衆は
何れも治療出来ないと申されたので、御三家も気遣っておられたが、以前
病気された時、岡本玄治法印の薬で快然され、今度も玄治の薬を呑ませるべき
との上意であったが、玄治が申上げるには
「以前の病気とは違い、今度は、危篤状態でおられるので、私の薬は呑ませ
られない。」とお断り申上げたが
「その方の薬を呑みたい。」と仰しやったが
「様態は、医者一同が切迫している。」と申上げれば
「辞退するには及ばない。」と御三家方も仰しやったと老中方が、申したので
玄治は、薬を調合し差上げたら
「その薬を呑まれると、直ぐに快くなられた。」との上意であった。
以後、次第に回復されたので、玄治は、夫迄五十人扶持されていたが、領地
千石拝領仰付けられた。
(注釈)
御三家 尾張の徳川・紀州の徳川・水戸の徳川の三家。
切迫 ゆとりがないさま。