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福岡市立博物館1 平成12年(1990)に開館した福岡市立の博物館。 国宝・「漢委奴国王」の金印を所蔵している。 常設展示室では福岡の歴史と人々の暮らしを紹介している。 玄関前には巨大な像が4体並び、ハーフミラー張りの現代的な建物に目を奪われる。 (ここでは古代関係の展示物を紹介する) |
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福岡市立博物館2(金印「漢委奴国王」) 金印は1784年に志賀島において発見されました。 1931年に国宝に指定された。 国宝・金印「漢委奴国王」は中国の史書「後漢書」には 使いに、後漢の光武帝が「印」と「綬」を授けたとある。 |
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福岡市立博物館3(福岡のあけぼの) およそ26000年前、氷河期では九州と大陸はほゞ陸続きであった頃、 福岡の地に人々が暮らすようになった。 15000年前には気候が温かくなり、九州と大陸は海で隔てられた。 そのころの人々は石や鏃の弓矢で狩りをし、土器で食べ物を煮炊きをした。 |
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福岡市立博物館4(弥生時代) 狩猟、採集の縄文時代では多くの石器、縄文土器が出土している。 大陸から稲作が伝わり、狩猟、採集の生活から 農業の暮らしが始まり、定住するようになった。 大陸から稲作とともにいろいろな道具も伝わった。 |
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福岡市立博物館5(奴国の時代) 大陸から朝鮮半島を経由して、福岡の地で稲作が伝わりました。 人々は稲作とともに新しい社会の仕組みで、 技術の体系、祭祀や儀礼を受け入れて、 農耕集落を築いていきます。 |
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福岡市立博物館6(古墳時代) 奴国の時代には各地で古墳が造られはじめました。 畿内からは新しい前方後円墳が伝わり、 福岡でも各地で造られ、多くの出土品が出土しています。 |
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福岡市立博物館7(鴻臚館の時代) 4世紀以降、国の中心は畿内へ移ります。 福岡の地は外交、交易の窓口であるとともに、 国の守りの最前線となります。 福岡城内にある鴻臚館は外交使節として、人、もの、文化の交流の場となった。 |
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福岡市立博物館8(鴻臚館の時代2) このころは中国からは青磁陶器、 朝鮮半島からは新羅、高麗の陶器や はるか遠く、ペルシャからはガラス製の壷などが伝わっている。 |
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福岡市立博物館9(福岡の埴輪1) 埴輪は今から約1700年前に、地域の有力者が葬られた古墳上に据えられた焼き物です。 これらは棺に納められた神聖な空間を守る役割や 亡くなった有力者のあの世へ送る儀式の様子を再現する役割を果たした。 |
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福岡市立博物館10(福岡の埴輪2) 埴輪はもともと壷や壷をのせる器台を象徴化したもので、 壷型埴輪、円筒埴輪、朝顔型埴輪が好例です。 これらのうちでもっとも古い埴輪は円筒埴輪で、 3世紀中ごろの畿内の前方後円墳の成立に関連して生まれた・・・ その後、武器や武具、人や動物などの形象埴輪が現れてくる。 |
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