福岡古代史探訪の旅
福岡市内
福岡城址



名島門


長屋門

 



 

 

牡丹園にて
 
福岡城址1

羽田発午前9時20分の飛行機で福岡空港へ。
午前中に福岡入りし、まずは福岡城へ。
福岡市内はこの連休中は博多どんたくでどこも超満員!
大濠公園の方ではそれに合わせてぎょうざ祭り・・・
まずはここで腹ごしらえ・・・
 
福岡城址
 
多聞櫓

 
城壁

表御門跡


東御門跡

天守台遠望

天守閣復元中

石段



天守台より遠望1

天守台より遠望2
福岡城址2

福岡城は建造物はあまり残っていないが、石垣や縄張りがほぼ当時のまま残っているので
国の史跡に指定されている。
慶長5年(1600)、黒田長政は関ヶ原の戦いで戦功をあげ、
筑前国ほぼ一国(50万石、後に52万石)を与えらえ、福岡藩初代藩主となった。
慶長6年(1601)から7年かけて、現在の場所に内郭面積約41万uの
全国でも有数規模の平城を築城した・・・
天守閣の存在は定かではないが、城跡には
天守台、多聞櫓、潮見櫓、下の橋御門跡 、名島門などが残る。
 
鴻臚館


遣唐使船(模型)
 
鴻臚館復元
 
基壇

礎石

礎石据付穴

出土土器 
 
鴻臚館1

鴻臚館は飛鳥、奈良、平安時代の外交使節。
中国や朝鮮半島からの使節団の迎賓館として、
叉、日本の外交使節である 遣唐使、遣新羅使の宿泊所としても使われた。
同様の施設は京都(平安京)、大阪(難波)にも設けられたが、
現存するのはこの筑紫鴻臚館のみで国の指定史跡になっている。
 
鴻臚館


 

江戸時代の井戸跡 
 

瓦溜 
 
土坑

 
 

 鴻臚館2

この鴻臚館は大正時代に、九州大学の中山平次郎博士が
遣新羅使が筑紫館で詠んだ万葉集の歌をヒントに、福岡城内で古代瓦や陶磁器を発見した。
その後、昭和62年(1987)、平和台球場の外野席改修工事の際に、
遺構が確認され、本格的な発掘調査が始まり、現在も続いている。

 
鴻臚館

木簡


伊貴作瓦

ガラス瓶


ガラスコップ

お皿1


お皿2
鴻臚館3

鴻臚館跡からは国際色豊かな遺物が出土している。
中国で生産された陶磁器や朝鮮半島の新羅、高麗産の陶器をはじめ、
西アジアのイスラム系陶器やペルシャ系のガラス壷なども発掘されている。
ここからは吉備真備、最澄、空海、円仁など日本の礎を築いた多くの人が旅立っている。
 
鴻臚館

 

 

三彩印花鴛鴦紋頭枕

黄釉褐彩貼花水注


青磁 花文椀

土器

土器破片1

土器破片2
 
ヘレ切長谷根部(織田信長拝領刀)

朱塗合子型兜(黒田官兵衛) 
鴻臚館4

鴻臚館展示室では発掘当時のまま残された遺構や出土品、復元建物などが見られる

礎石や柱跡、土坑など当時のまま復元されている。
復元建物では平安時代の建築資料に基づいて再現されている。
 
護国神社(中央区)

一の鳥居


平和の像

狛犬(吽形)

狛犬(阿形)

二の鳥居

大石灯篭

境内社

社殿
護国神社(中央区)

正しくは福岡県護国神社という。
創建は明治元年(1868)、明治天皇のご意向により県内の旧藩士等が、
明治維新の国難に殉じた人々の慰霊顕彰するため招魂社を建立。
昭和18年(1943)、県内五社の招魂社を合祀し、この地に鎮座した。
戦災により焼失、昭和38年(1963)に再建された。
祭神は明治維新から大東亜戦争に至るまでの英霊・・・
 
護国神社(中央区) 

拝殿

拝殿扁額
 

拝殿内部

社務所

掘出稲荷神社



全景

社殿
掘出稲荷神社

大正年間、福岡歩兵連隊の兵隊さんの夢枕に、
「吾は祐徳稲荷の弟である。永き年月埋められたままである。
今こそ我を掘り出して吾を守れ」との信託が下された。
その御神体を掘り出し祀ったところ、次つぎと福徳運が重なった・・・
 
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