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黒羽城跡1 黒羽城は天正4年(1576)大関高増が余瀬の白旗城から 本拠地を黒羽城に移したことに始まる。 以来、明治期に至るまで300年近く近世大名・大関氏の本拠地であった。 慶長5年(1600)、徳川家康より加増され1万8千石の大名となった。 明治期に入り、廃藩置県により廃城となった。 |
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黒羽城跡2 黒羽城は天正4年(1576)、大関高増が築城し、北那須最大規模の山城。 八溝山西麓の突端を利用した天然の要塞で空堀と土塁からなる複郭式の城。 南北1500m、東西250m、面積37.5haの大きさを誇る。 本丸跡に立つと、那須、日光連山が一望できる。 |
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大雄寺 黒羽山久遠院大雄寺という曹洞宗の禅寺。 草創は応永11年(1404)余瀬の白旗城内に創建された。 天正4年(1576)、大関家第14代高増により、黒羽城に本拠地を移すと同時に、現在地に移転した。 先代藩主・増次を中興開基とし、在室玄隣大和尚を中興開山として、大関家累代の菩提寺となった。 |
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ラカンの丘 この庭園は石仏十六羅漢を祀る安らぎの場所。 平成7年、大雄寺開創600年を記念して奉安された。 ビンズルさまやチューダペンタカさまに代表される羅漢様は お釈迦様の代表する弟子で仏の教えを長く伝える仏様たちである。 |
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大雄寺3 現在の大雄寺は文安5年(1448)の伽藍が保存され、 7つの茅葺屋根の本堂、庫裡、禅堂、回廊などの伽藍は 国の重要文化財に指定されている。 蔵造りの経蔵には一切経4500巻が納められている。 |
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大雄寺4 大雄寺の伽藍は茅葺の回廊で繋がれている。 石段を登り、山門をくぐり、総門を入る。 左に禅堂があり、早朝より座禅会が行われている。 総門の正面には本堂があり、右に庫裡がある。 |
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大雄寺5 閑話休題。 総門と本堂の間には前庭がある。 大雄寺は花のお寺でもあり、季節を問わず、 草花が楽しめる・・・この季節でも。 |
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大雄寺6 大雄寺は黒羽藩・大関氏の菩提寺である。 寺の後方には大関家累代の墓所があり、五輪塔や石塔が林立する。 このほか六角形の永代供養堂などが建つ。 また、入り口右には白旗不動尊が建つ。 |
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黒羽八雲神社 慶長5年(1600)、字大宿と称するところから現在地に移転した。 宝永2年(1705)、大修理、零細には藩主・大関家より、祭祀料として玄米5斗8升の奉納があった。 祭神は須佐之男命、田心姫を祀る。 毎年7月には例大祭が盛大に行われる。 |
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黒羽神社 黒羽招魂社(黒羽神社)は藩主大関増勤が建立し、 戊辰戦争に従軍した兵士をはじめ、国家好況に尽くした人々の霊が祀られている。 例大祭は戊辰戦争凱旋日に因んで10月13日に行われる。 境内には黒羽地方に尽くした先人たちの碑塔がたくさん立つ。 |
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雲巖寺1 八溝山地のふところ深く、清らかな清流に沿う境地に臨済宗妙心寺派の古刹東山雲巖寺がある。 筑前聖福寺、越前永平寺、紀州興国時と並んで、禅宗の四大道場と呼ばれている。 仏国国師が関東地方を行脚中、黒羽山麓に庵を構えた時、 八溝山の高梨勝願法印が国師の教えを受け、弘安6年(1283)に執政北条時宗が建立した。 |
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雲巖寺2 雲巖寺は禅の修行のためのお寺。 朱塗りの反橋を渡って石段を登ると、正面に釈迦堂、獅子王殿が一直線に並ぶ。 右に勅使門、平和観音堂があり、勅使門の石段を登りきったところが禅堂。 松尾芭蕉はこの地で「木啄も 庵は破らず 夏木立」の句を残している。 |
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