亀ヶ崎の獅子舞 平成二十二年十一面観音堂祭典

初代の獅子頭 室町時代 天和2年(1682)

初代の獅子頭 室町時代 天和2年(1682)



2代目の獅子頭 天明3年(1783)

弐代目の獅子頭 天明3年(1783)

3代目の獅子頭 平成元年(1989)に新調

参代目の獅子頭 平成元年(1989)に新調

亀ヶ崎の獅子は女獅子といわれている。獅子の頭の上に白く見える女獅子を象徴する鏡を載せています。

観音堂に伝わる亀ヶ崎獅子舞の由来
以下「亀ヶ崎史」から抜粋

亀ヶ崎十一面観音堂に伝わる獅子舞は、現在は酒田市無形文化財に指定されています。
この獅子舞の原型は平田町(現酒田市)新山神社に伝わるものと類似しており、新山系統を引き継いでいると言われています。悪魔を払い、五穀豊穣を祈願する舞いです。新山修験のそれと同じく、古式12段から成っています。

12段の構成は、四方固め・八方固め・天地・幕折り・幕返し等から成り立っていて、その舞は荘厳であり、威風四周を圧する迫力を持っていて静から動へ、動から静への展開が美的躍動を感じさせるものであります。
「時間にして約45分の舞ですから、獅子の頭(かしら)担当の方は相当に体力が消耗されます。」

亀ヶ崎の獅子舞は新山修験のそれと同じく、古式12段から成っている。
元来、獅子舞というものは勇壮活発でテンポの早い躍動的な動きに特徴があるのが全国的な獅子舞の特色ですが、亀ヶ崎の獅子舞には、静粛と動の舞が加味されており、明らかに古式能の流れを汲む優雅な舞いであることが理解されます。
 正法会館には室町期のものと推測される古い獅子頭があります。
江戸時代以降の獅子頭としては、現在の獅子頭が参代目にあたり、初代は天和2年(1682)の銘が記されています。
弐代目は天明3年(1783)塗師・日田文八の銘があり、参代目は平成元年(1989)の御開帳を記念して、酒田市今泉の仏師・高橋啓行氏によって製作されたものであります。
なお、この時酒田市本楯の彫刻家・日下部幸四郎氏により天狗の面も同時に新調されました。

鵜渡川原村の豊受神社・十一面観音堂例祭日には、神宿・当前で天狗舞と獅子舞が奉納され、このあと神宿りから出発した例祭行列は、威勢の良い奴振りを先頭にして、稚児行列・天狗・獅子舞などが、警護の人々に守られながら町内を練り歩き、終着地観音堂へ向かいます。
観音堂に到着した行列は、お堂の周囲を3回巡り、待ち構えていた参詣者や見物人たちが枝無花を奪い合って祝い事としての縁起を担ぎます。
その後、観音堂前では天狗舞が始まり、獅子舞が奉納されます。獅子舞は、頭部と尾部に入った二人の舞手によって笛と太鼓に合わせて舞われます。笛・太鼓の音色も、悠揚迫らぬものがあり見物客を引き込みます。
観音堂前で披露された勇壮な天狗の舞い
観音堂前で披露された勇壮な天狗の舞い
                      以前の天狗の面。製作に関する詳細は残念ながら残されていない。
                      以前の天狗の面。
         製作に関する詳細は残念ながら残されていない。
稚児行列に参加した着物姿のかわいい子供たち 舞を盛り上げる笛と太鼓の演奏
稚児行列に参加した着物姿のかわいい子供たち 舞を盛り上げる笛と太鼓の演奏
各家を廻る天狗舞担当の方々 悪魔を払い、五穀豊穣を祈願する勇壮な舞い

悪魔を払い、五穀豊穣を祈願する勇壮な舞い
各家を廻る天狗舞担当の方々  
大勢の皆さんが見守る中行われた獅子舞

大勢の皆さんが見守る中行われた獅子舞


最後は赤い錦の巾(きん)を食わえて一周する。
     12段の構成からなる獅子舞は、四方固め・八方固め・天地・幕折り・幕返し等から成り立っている。
祭りを盛り上げる豊受神社ののぼり(亀ヶ崎公園) 観音堂の前では、出店が立ち並ぶ
祭りを盛り上げる豊受神社ののぼり(亀ヶ崎公園) 観音堂の前では、出店が立ち並ぶ
天狗舞、獅子舞が奉納され柏手を打ち、悪魔払い、五穀豊穣を祈願する。 天狗舞、獅子舞が奉納され柏手を打ち、悪魔払い、五穀豊穣を祈願する。
天狗舞、獅子舞が奉納され柏手を打ち、悪魔払い、五穀豊穣を祈願する。
※ 以上の写真は先日4月17〜18日に行われた祭りのスナップです。来年は陣宿、行列、下働き等も載せられたらと思います。
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