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宝寿院 月桂山宝寿院明覚寺という真言宗智山派のお寺。 創建は嘉吉3年(1443)、根来の僧・祐満上人により不動明王を本尊として開基。 中世には那須氏の帰依暑く、寺領50石を受けた。 境内の如来堂の阿弥陀如来は県の文化財になっている。 |
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笠石神社 笠石神社に祀られているご神体は石碑でその上に笠状の石がのせられていることから「笠石」と呼ばれている。 この碑は那須国造碑で西暦700年、当時の那須国(郡)を治めていた那須直葦提の没後、 その子・意斯麻呂が葦提の遺徳を偲んで建碑した。 それから約1000年後、水戸藩主・徳川光圀が発見、石碑に堂を作って安置した。 多賀城碑、多胡碑と共に日本三大古碑の一つに数えられている。 |
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二ッ室古墳 小船渡の中川右岸段丘上にある全長46.6mの前方後円墳。 後円部径22.0m、高さ4,5m、前方部幅16,0m、高さ2,2m。 発掘調査の結果、後円部と前方部の双方から横穴機器石室が発見された。 この古墳は古墳時代後期(6世紀後半〜7世紀初頭)の古墳であることが分かった。 後円部石室は石積みが復元され、見学できるようになってはいるが・・・? 観音塚古墳 二ッ室古墳から北30mのところにある円墳。 墳丘は二段築成になっていて、直径が約40mと大型。 墳丘周囲には幅1おmの周濠が巡る。 出土品などから6世紀後半の築造とみられ、二つ室古墳よりは古いとみられる。 |
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湯津上資料館1 なす風土記の丘湯津上資料館では 那須国造碑と祖の建立と発見の展示があった。 那須国造碑は、西暦700年頃に建立された後、 江戸時代に再発見され、水戸光圀公によって調査された。 |
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湯津上資料館2 常設展は国宝の那須国造碑のレプリカをはじめ、 侍塚古墳など周辺の古墳からの出土品が展示されていた。 このあたりの古墳を見る上では貴重な品々ばかり。 那須地方の古代を知る上では欠かせない。 |
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下侍塚古墳 全長84.0m、後円部長48m、後円部幅48.0m、後円部高さ9.4m 前方部36.0m、前方部幅36.0m、前方部高さ5.0mの前方後方墳。 元禄5年(1692)、徳川光圀の命により発掘調査をし、保存された。 日本初の学術調査となった古墳。 出土品などから古墳時代前期(4世紀末頃)の築造とみられる。、 |
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侍塚古墳群 下侍塚古墳のすぐ北に展開する8基で構成される古墳群。 かつては10基程度存在していたが、戦後の開墾で消滅した。 1号墳は前方後円墳で、8号墳は方墳で、そのほかは円墳とみられる。 5号墳は発掘調査の結果、古墳時代後期(6世紀)の築造と考えられている。 |
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法輪寺 正覚山実相院法輪寺という天台宗のお寺。 貞観2年(860)慈覚大師円仁の開山と伝えられている。 正面には光丸山の本院大日堂がある。 境内には天狗堂があり、大天狗面を祀る。 この天狗面は高さ2.14m、幅1.5m、鼻の高さ1.3m、重さ1tの 木製の天狗面で天狗面では日本一といわれている。 |
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法輪寺2 法輪寺は初院、中の院、奥の院と大日堂からなっている。 お寺の脇を流れる川に奥の院一の鳥居がある。 大日堂右奥にご嵯峨天皇の勅額門がある。 この門を入ると法輪寺の本堂釈迦堂がある。 奥の院は一の鳥居から800m行ったところにある・・・ 神仏分離の反対の神仏習合の名残をとどめるお寺。 |
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群馬県古墳巡り | |||||||||||||||||
.藤岡市1 2.上野三碑めぐり 3.藤岡2+ 4. | |||||||||||||||||
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