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洲崎神社1 東京湾の出入口を見下ろす高台にあることから、 古来漁師にとっては漁業神、航海神であった。 式内社で、江戸時代には安房国一宮とされた。 祭神は安房神社祭神太玉命の后神、天比理乃当スを祀る。 |
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洲崎神社2 鎌倉時代の治承4年(1180)、安房に逃れた源頼朝が 戦勝と源氏再興を祈願し、後、妻雅子の安産祈願をした。 安房国一宮洲崎大明神の扁額は1812年の当時白川藩主・松平定信の筆。 148段の急こう配の石段を謙虚な気持ちで登ると、厄落としが出来るという・・・ |
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養老寺1 正式には妙法山観音寺という真言宗智山派のお寺。 安房三十四観音第30番札所で、本尊は十一面観世音菩薩立像。 養老元年(717)、役行者によって創建された。 |
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養老寺2 境内には石窟と独鈷水がある。 石窟には役行者の石像が祀られている。 八犬伝には、幼少の伏姫が役行者から8つの玉を授けられたと・・・ 江戸時代までは隣接する洲崎神社の別当であった。 |
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船越鉈切神社 本殿は約2万年前にできた「鉈切洞穴」の中にあり、祭神は豊玉姫命を祀る。 洞穴の発掘調査では、縄文時代後期(約4000年前)を中心とした 土器や動物の骨鹿の角などが出土している。 また、境内にはやぐら(武家の墓)が多く見られる。 |
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海南刀切神社1 元は山側に「船越鉈切神社」を上の宮、 海側に「海南刀切神社」を下の宮と呼び、一つの神社であった。 祭神は刀切大神を祀る。 |
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海南刀切神社2 御神体は本殿背後にある大岩礁で、 約1mの幅で真っ二つに割れていることから刀切(なたきり)神社と名がついた。 拝殿の彫刻は八岐大蛇を彫ったもので見事である。 真っ二つに切れたところはカニ歩きで通れ、願い事が叶うといわれている・・・ |
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国分寺1 閑話休題? 今回の旅の目的、安房国分寺に到着。 奈良時代の国分寺跡を見るのが目的であったが、 国分寺にはその前にみるべき遺跡が・・・ 孝行の碑や三義民の墓など見て門をくぐる。 |
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国分寺2 現在の国分寺は日色山国分寺という真言宗智山派のお寺。 山門を抜けると、参道の傍らに円形の礎石が置かれている。 本堂横には南北朝時代の五輪塔がある。 本尊は薬師如来を祀る。 |
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国分寺3 奈良時代の天平13年(741)、国分寺と国分尼寺の詔が出され、全国に国分寺が建てられた。 ところが、安房国は天平13年に上総国に併合され、再び、天平宝字元年(757)再び分立された。 そのため、安房国ではほかの国に遅れて奈良時代後半に建立されたと考えられている。 一方、国分尼寺は建立されなかったとされている。 境内には当時の国分寺の金堂跡が残る・・・ |
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館山1 館山2 館山3 館山4 白浜1 | |||||||||||||||||
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