霊厳夜話
 
 

第31話 以前町方風呂屋の事
   1、問 大猷院様の代迄は、權現様、台徳院様の代のように、奉公衆諸役人方を、
         御前へ召出し、御用の事情によって直ちに仰付けた事も、有ったと言い伝え
         られているが、そなたは、如何様に聞かれているか。
    1、答 筆者も、その趣を聞いた事がある。
       それに付いて、大猷院様の代の時、町奉行米津勘兵衛殿を、御前に呼び
         「昨夜、麹町辺りで、牛込組の徒の者達と、その辺りの浪人達と争いをして
         いたというのは、その通りか。」
         と尋ねられ上意の時、勘兵衛殿が申上げるには
         「私儀は、未だそのような事は承っておりません。定めし、町方での事で
         しょう。」
         と申上げれば、重ねての上意で
         「確かに、麹町の事である。その方の支配所の事を、知らないのか。
         と御不審の処に、勘兵衛殿が申上げるには
         「上意の趣ではありますが、定めし、争いが有ったというのは、相違無い
         けれど、双方共、早々に離れました。町方の者達が出合って、無事を調へ、
         決着したと有って、被害さえなければ言上に及ば無いと言ったので、()ねて
         定めて置いた役所へは、訴え出なかった。」
         と申上げれば
         「争いの次第を、詳しく聞き届けて置くように。」
         との上意で、お城から退出し、そのまゝ吟味をした。
         翌日、登城すれば、御前へ呼び出され、お尋ねになったので
         「昨晩の者を、呼寄せ、吟味したら、確かに正しかった。
         場所も、昨日上意の通り、麹町の風呂屋の前の事であり、一方は十人ばかり
         の連れと見え、一方は一人で、双方が刀を抜き打ち合っていた様であったが
         争いの場所柄が悪いと知ってか、大勢の連れの者達が立退いた処に、町内の
         者達が出合って、一人の方を取押え、無事に収まったので、言上しないと、
         町人達は申した。
         一人の方は上意の通り、素浪人で宿元も知れたので、当分は宿預けに申付け
         た。大勢の連れの方は、牛込組の御徒衆とか申していた。
         夜中の事なので、誰も見ていた事でも無いので、推量する事であります。」
         と申上げれば、
         「大勢の連れの方の仲間の者達は、もし、他のような者に、事件を起すとも
         限らない。何れの筋も吟味する様、その方の支配下の浪人は、欠落する事の
         無いように申付けて置く。」
         と上意があったので
         「御審議されるならば、早速知っているけれど、大勢の方の御徒衆の者達が
         もし(きわま)ったならば、吟味の上、双方共に相応な御仕置を仰付ける事になれば
         江戸中の噂になり、十人ばかりの御徒衆は、只一人の浪人者に切られ、逃亡
         されたとあっては、旗本の名折れというものであり、最早、究明仰付けら
         れるのは、及ばない事であります。」
         と、勘兵衛殿が申上げれば殊の外、御機嫌悪い様子に見えたので、勘兵衛殿
         が恐れ入って退出した。
         翌日から、病気といって引込んでいたら、或る日の朝、御側の医師衆が病気
         見回りとの事で入って来たので、過分とあって対面した時
         「自分は、昨夜泊り番で詰めていたら、上意されるには、米津勘兵衛殿は、
         病気で引込んでいるのが、常には、随分と息災の者であるが、如何したか
         見回って様子を見て来るように、との仰付けで、只今御城よりの帰り掛けに
         立寄れ。」との上意であると言えば、勘兵衛殿が、涙を流して、
         (それ)は、思いも寄らない、有難き幸である。この間、少々気分が悪く引込んで
         いた。大方良くなったので、近々出勤する。」と言えば、脈を見られてから
      「右の上意でも有れば、今日でも、出勤したい。」と言えば、
      「今日から、出られても良い。」との事で、翌日、登城したら、御前へ呼ばれ
      「早速、病気が快く一段の事に思う。」との上意で
      「有難き幸です。」と申上げ、御前を立ったら
      「先日、宿預けに、して置いた浪人者を、許すように。」との上意で有った。
      この様な事を考えれば、勘兵衛殿に限らず他の役人も、折々は、御前へ呼ばれ
      直ぐに御用を、仰付かったようで有るのではないかと思った。

  1、問 町方に有った風呂屋は、如何様な様子で有ったか。
  1、答 筆者が若年の頃は、風呂屋が江戸の所々に有ったのを、確かに覚えている。
         風呂屋が、風呂を炊いた晩は、七ツを打てば終わった。
         昼の内に風呂に入った者の、垢をこすった湯女(ゆな)達は七ツ切りで終り、(それ)から
         身仕度くを調へ、暮時になれば、風呂の上り場に囲った格子の間を、座敷構え
      にし、金屏風(びょうぶ)
引張って(あかり)をつけ、例の湯女(ゆな)達が衣服を改ためて、三味
         を鳴らし、小唄を唄って、客集めをしたようであった。
         右の風呂屋は、麹町にも二・三軒有った。
         石野八兵衛殿の組下の御徒衆に、栗田又兵衛という侍が、例の風呂屋の前で、
         けんかして傷を負ったので、御審議となり、場所柄が悪いので、御仕置きに
         仰付けた事も有った。
         その後、間もなく停止になり、江戸の風呂屋は残らずつぶれ、増上寺門前に
         只今、一軒有ったけれど、湯女は御禁制であった。

第5巻31話
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