
第33話 武士勝手噂の事
1、問 当時は、諸大名方を初め諸旗本衆・家中を限らず、十人中九人迄は、勝手を
使い果たし、自分さえ良いという武士は、稀な様であったのは、以前から
この様であったのか。
1、答 すべて乱世には、大身・小身に限らず、武家に境遇というのは、無いので、
百姓・出家といった族は、残らず困窮したものである。
その子細を申すと、乱世には、例え、小身であっても、武士でさえあれば、
その身分上、相応に人を用い、勢いが有る者だ。
況して、国郡の主共に備わった人々は、特に権威が、盛んでおられるので、
国民共に尊び敬い、治国とは格別であった。
領内の町人・百姓も乱世には、他国に掛けての賣買は、決して出来ない。
その家中ゝの諸奉公といっても、軍陣の用意だけを専らとし、我も人も
共に、ぜいたくを好まないので、自から、その所の賣買も無い。
金銀を多く貯へている者達は、その置所に、気遣い、迷惑しているので、
せめては、所の守護の御用に、役立てて置く分には、気遣いも少ないという
分別で、御用次第といって、我も人も差出す様であった。
是れについて、国郡の守護である人々の手前、領分中の金銀は、残らず
集ったというものである。
そのような時は、家中・諸士共に我も人も、今日の事は、身命に異状が無い
けれど、明日にも戦場で、討死するかも知れないと、世上をも虚しく思うの
である。
来年の暮れになり、相違無く返済するという様な、証文を調へ印形をして
人の物を借りるというのは、大胆の至り、大いな恥辱と思うので、自から
身上相応な暮らしをし、その上に用金の少々ずつも、腰から離さないように
する事である。
治世の武士が、貴いのも卑しいのも、泰平の御代というのを楽しんで、心も
寛大になり、派手でぜいたくも出来るので、身上不相応な暮らしをする様に
なった。
しかし、主人から給る恩給だけでは、不足なので、人の物を借り、調へて、
間に合わせ、その金銀には、利息を添えて返済する様で有ったので、跡引
となり、次々と借金も多くなって、どうにも無らなくなり、すっかり使い
果たす事になった。
そのような勝手向になり下がっては、借物などの返済も出来なくなったので、
仲介の捺印をした者にも、難儀を掛け、人に損をさせ、夫を何とも思わない
というのは、武士の本意を失うのである。
ここで、世俗の格言に「貧すれば鈍す」といったのである。
この趣を良く分別して、どれほど平穏な時代であっても、武士に生れた者は
貴賤上下の、区別なく「戦場常在」という四文字を、常に、心に刻んで置く
事である。
身の栄華を好み、賢虚質朴を宗とし、多少なりとも、主人から給る恩給で
渡世をするという意識があれば、むやみに手元をすっかり使い果たす事も
無く、それについては、武士の本意を失う程の事でも無い。
中でも近年になって、大身・小身の武士の勝手を使い果たすというのには、
子細が有る。
その理由は、文禄年間(一六八八年〜一七〇三年)、米の値段が高値になった
ので、それ以前、百石の知行米を売って金子百両を受け取ったが、前の二百
両も、その余りも、取り込むような事が、二・三年も続いたので、何時迄も、
このような値段との考え違いで、事が起った。
以前から、住人でいた家を広げ、家族を増やし、その他以前に無かった事を
し初めて、身分不相応な暮らしをしたら、思いの外、米の値段が下がったので、
取り込んだ金銀の、高も減ったので、勝手向が大いに違ったけれど、年末は
この様では無いだろうと、楽しみにしていたら、少し、米の値段が下がった
後は、物が欲しくなり、夫から借金も多くなり、すっかり使い果したのは、
言う迄も無い。
筆者が若年の頃迄は、大名方の中には、むやみに、生計が困難であるという
のでは無く、例へ生計が困難であるというのも、多く噂されない様にと、
家来達が働き、夫については、その家中の侍達迄も、家計を使い果すという
のは、恥辱のように心得て、あれこれと比較をする様であった。