栃木県歴史散歩
那須町
伊王野城跡



城山の月碑

4の郭(三の丸)三の丸

土塁1

土塁2

土塁3

4の郭よりの眺め
伊王野城跡1

長享元年(1487)、13代伊王野資清によって築かれたという城。
伊王野氏は那須六家一つで、子孫資信は那須七騎に数えられた。
江戸時代には関ヶ原の戦いの功績から旗本となっている。
寛永4年(1627)の廃城までおよそ150年に渡って伊王野氏の居城であった。
伊王野城跡2





十一面観世音菩薩

阿弥陀如来

千手観音菩薩

馬頭観世音菩薩

聖観音菩薩
伊王野城跡2

伊王野城は別名「霞ヶ城」といい、連郭式平山城。
現在は公園として整備され、土塁や堀切、竪堀などの遺構を確認することが出来る。
本丸、二の丸、三の丸などの地名が残り、往時をしのぶことが出来る。
堂の下の岩観音

全景


巨岩

石仏群

石仏1

岩壁

岩観音?
堂の下の岩観音1

明星水山の岩肌の露出し、そびえたつ岩。
その中腹には赤い屋根の観音堂が建つ。
この堂には観世音菩薩が祀られていることからこの名がついた。
観音堂や岩肌など見ごたえのある自然景観を作り出している。
堂の下の岩観音2

観音堂(正面)

観音堂(横)


内陣

石仏2

石仏3

堂の下の岩観音2

この岩には35文字の顕彰文が刻まれている。
日清戦争で、下芦野出身の船山市之助が
旅順の戦いで先陣を切って攻め入った・・・
春にはサクラの名所となっている。
専称寺


山門

山門扁額




石仏群

本堂

本堂扁額

如意輪観音

専称寺

伊王山専称寺という時宗のお寺で、本尊阿弥陀如来は国の重要文化財。
鎌倉時代の延応元年(1239)、那須次郎資長(那須氏4代頼資2男)が創建した。
以来、伊王野家の菩提寺で、伊王野氏の旧墳墓が残る。
永仁5年(1297)に一遍上人の跡を継いだ他阿真教上人が時宗として開山した。
正福寺


山門

山門扁額

本堂(再建したばかり)

内陣


大黒天

正福寺

補陀落山正福寺という真言宗智山派のお寺。本尊は聖観音菩薩。
平安時代初期の弘仁4年(813)に徳一上人によって創建された古刹。
その後、室町時代初期に宥印法師が中興開山し、真言宗に改宗した。
那須三十三観音霊場の第5番札所。
馬頭観音堂



全景


不動堂

扁額

馬頭観世音



伊王野市街を望む
馬頭観音堂

奥州平泉にいた源義経が挙兵した鎌倉の兄・源頼朝のもとにはせ参じようとしたが、
ここで愛馬の太夫黒の足を痛めてしまった。
困った義経は里人の案内で馬頭観音が祀られているのを知り、
常陸坊海存に平癒の祈祷を命じて、その効で太夫黒は回復。
義経はお礼に御堂を建てるように里人に金子を与えたという伝説が残る。
現在、伊王野城山の千本杵餅つきという行事が伝承され、
馬頭観音の開帳の折には行われている。
長源寺

六地蔵

山門

仁王像(吽形)

仁王像(阿形)

本堂


本堂扁額

内陣


水子地蔵
長源寺1

桃林山長源寺という曹洞宗のお寺。本尊は釈迦牟尼仏。
長源寺の前身は甘露寺とされ、創建年代は不詳。
室町時代後期の弘治元年(1555)伊王野資直が中興開基となり、
現在地に移し、長源寺とした。
長源寺

鍾堂

十三重石塔

十六羅漢1

十六羅漢2

十六羅漢3


伊王野氏新墳墓
長源寺2

長源寺は資直以来、伊王野家の菩提寺となった。
境内の背後には伊王野氏一族の五輪塔が残り、
「伊王野氏新墓」として町の史跡になっている。
温泉神社(伊王野)

一の鳥居

杉参道


手水舎



境内全景
温泉神社(伊王野)1

創建は和銅2年(709)に勧請されたのが始まりとされる。
平安時代初期の大同2年(807)に現在地に遷座したと伝わる。
鎌倉時代初期の延応元年(1239)に那須氏4代那須頼資の次男
那須(伊王野)次郎資長が帰依し、
仁治2年(1241)に社殿を造営し、八幡神の分霊を勧請した。
温泉神社(伊王野)

狛犬1

狛犬2

拝殿

大杉

拝殿正面

本殿

境内社1

境内社2
温泉神社2

祭神は大巳貴命、少彦名命、誉田別命を祀る。
本殿は大正13年(1924)に造営されたもので、外壁が真壁造素木板張りという
貴重なことから町の文化財になっている。
鳥居から拝殿までの杉並木は古木が多いことから県の天然記念物になっている。
正慶寺

山門

六地蔵

本堂

境内社

石仏1


薬師堂境内

石仏群

薬師堂

薬師如来 付十二神将
正慶寺

滝沢山正慶寺という曹洞宗道幻派のお寺で本尊は観世音菩薩。
隣接する沼野原薬師堂は江戸時代後期の寛政9年(1797)に
現在地に移されたといわれている。
安置されている薬師如来像は室町時代の嘉吉3年(1443)に
教善(伊王野氏一族)の寄進により制作されたもので、町の文化財になっている。
三森家住宅

長屋門

主屋

土間

居間

座敷

仏間


屋根裏
三森家住宅

旧東山道(義経街道)沿いにある古民家。
三森家は交代名主や問屋など村の上役を歴任した上層農家の家柄。
主屋は江戸時代中期の享保18年(1733)に建立されたもので、
茅葺、寄棟の木像平屋建てで国の重要文化財になっている。
追分明神



一の鳥居



追分明神

境内社
追分明神

旧東山道の環頭最北端にあり、福島県白河市との境をなしている。
「境の明神」とも言われているが、地元では「住吉玉津島神社」と呼んでいる。
これは住吉神社と玉津島神社の二社が合わさったもので、
祭神は住吉神社の中筒男命と玉津島神社の衣通姫命を祀る。
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