
第47話 松平越中守殿乗物拝領の事
1、問 何れの代であろうか、松平越中守殿へ、公儀から乗物を拝領仰付かった事が
あり、夫から彼の家の乗物の棒を、黒くして乗ったとの事である。
その乗物を下された時、懇意な上意の趣を世間で、様々申されている。
そなたは如何聞かれているか。
1、答 この事を筆者が聞いているのは、大猷院様の代に日光へ還御なされた時、
野州宇都宮での事であった。
しかし、その時の上意の趣という事は、誰も存じている者は、いなかった。
子細は筆者が若年の時、浅野因幡守殿方へ振舞で来客があり、その座中で
越中守殿の乗物拝領の由緒もあり、その上特に心安かったので、或る時、
乗物拝領の直接の物語を、聞きたいと思い、尋ねたら、念を入れて話を
聞かなかったので、再び、松平安芸守殿方へ一家で振舞の時、勝手座敷で
越中守殿と我等両人が居たので、幸いと思い、乗物拝領の時の首尾を尋ね
れば、越中守殿が聞かれ
「そなたは、この間もこの事を申したが、全て乗物の棒を、黒く塗ったと
いうのは、法中は格別、武家方では決して出来ないが、我等の乗物の棒を
黒くして乗り歩くのには、定めし、快くない子細も有るのか、との推量で
事が済んだとの返答だったので、その後は尋ねもしなかった。
しかし、今時世間で、兎や角と風説するのは、全て推量する他はなかった。」
と因幡守殿が、各々へ申した。
右にも申した、阿部豊後守が未だ微官少禄の時、一字拝領の越中守殿へ黒塗
りの棒の乗物を、許されたというのは、他に類もない事であれば、その時、
懇意の次第を、外へ演説されないというのは、至極当然である。
我等の至らぬ分別であった。
その子細を申すと、通常大体の事は人が語り、吹聴する事にもなるものである。
主君の事でもあれば、猶更の事で友達の交りをされても、人に広く伝えて噂に
及んでは、先の人のためにもならない。
人によっては、主人より、針の先程の懇意に預かれば、棒程にも取り成し吹聴
する者もいるのは相応しくない。
その子細を申すと、功を賞するのに、その浅深軽重を乱さないという、主を持
った人の慎みの一つである。
そうであるならば、身に余る過分で、辱ないと思う様な主君の懇意を、自分
の心の底に収めて置き、二度と口外しないという慎みも無くてはならない。
(注釈)
松平越中守定綱 家康の甥。 桑名藩主。 1592〜1651年。
還御 他行先から帰られる。
浅野因幡守長治 備後国・三次浅野藩主。 1613〜1675年。
勝手座敷 台所に通じる座敷。
松平安芸守 浅野綱長。 広島藩主。 1659〜1708年。
法中 僧侶の仲間。
微官少禄 官吏で少ない俸給。