
第50話 播州赤穂城、築造の事
1、問 播州赤穂の城は、古来から無城の地であったが、寛永年間に浅野内匠頭殿が
拝領の時、自分から願って今の城を築いたというのは、そなたは如何聞か
れているか。
1、答 内匠頭殿は初め、常州笠間に在城していたが、播州赤穂へ所替仰付けられた
時、城地を取上げられ無城の地へ仰付けられた事に迷惑し、自分の普請で城
を築きたいと、お願いしたという事を、浅野一家の衆中へ内密に話したら
家元の松平安芸守殿を初め、その他一門中が共に
「内匠頭殿が、思っている事は最もではあるが、その様な願いを出しては
どんなものであろうか。
御上の支障もあるので、暫く見合せるべきである。」
との事で相談したが、決着しなかったので、譜代仲間で懇意にしている
水野監物殿へ、お願い事を取次いで給わる様に、内匠頭殿が頼んだ。
しかし、監物殿が申すには
「お願いの趣は承知するけれど、御一家中へも、相談されるのが最もである。」
是に内匠頭殿が申すには
「仰しやる迄も無く、一家の者達へも相談したが、当分は差し控へるべきで
あると、何れも申したが決着しないので、仕方なくそなたへ頼んだのである。
自分が普請をしたいと願い上げても、御取上げ無いので、覚悟を決めたく、
是非頼みたい。」
と無余の事を申されたので、監物殿はそれならばといって、御用番の老中へ
参りその事を伝へたら、数日経って御用番が、監物殿を呼んで仰しやたのは
「先日、話された内匠頭の新城築造の事は、同役中に話をし、主君の耳に
入れたが、赤穂には城の御用も無いので、仰付け出来ないとの事であった。
その事を内匠頭へ申す様に。」と言った。
監物殿は聞かれて
「それならば、今晩か明朝にも、内匠頭を同道して参上するが、その時は右の
上意をそなたが直接、仰しやるのが最もである。」と言えば
「すべて何事でも、取次衆から聞いた事を、その取次の方迄、返答する事である。
作法の通り、そなたから申すのが最もである。」
時に、監物殿が申されるのは、
「作法という上は、兎角申上げ様も無く、是から、内匠頭へ参って言い聞かせ、
それについては、内匠頭は言う迄もなく、自分も各位へお目に掛って是で告別と
したいので仕方無い次第。」
と言って、既に退出されたのを、押し止められ
「そなたの口上は、聞き届けられない事である。子細を申すように。」と言えば
「その事は、勘弁される事もあるので、我等が申す迄も無い事である。」
と監物殿が申されると
「そなたの言い分は、内匠頭はいう迄も無く、自分も共に是を告別という事を
聞き、最早仕方が無い。その事を委細言う様に。」
と言えば、監物殿が申され
「この様な事は、申す迄も無い事であるが、お尋ねの上は申す。
今迄、内匠頭が居た笠間の城地は、權現様から、浅野弾正長政へ茶の代にする
ようにとの上意で下された。
その子の采女正(うねめのかみ)から内匠頭まで、三代続いた領地であった城地
も、取上げられ別人に下され、内匠頭を、無城地に遣わされたので、仕方無く
めぐり合せと思い、自分で普請して城を築き、在城としたいとお願い申し上げ
たのを、取上げる事も無かったとあっては、内匠頭は城主の器に当らない者と
御上の思召しで有ったのかと、世間の噂になるのは、必定である。
そのようにあっては、その身が面目が立たない。
領地を差上げ、男を止める外は無い、という心の奥底を決めての上で、今度の
お願いに及んだ。
私の悪い了見なので、内匠頭の思いの通りを最もと聞き届けたので、差押える
のも仕方無く、軽率に披露を遂げ、内匠頭一人の身上を果させ見物していては、
世間への言い分もない。
第一、浅野一家の人々の手前もあれば、そのままにする事は出来ない。
岡崎の城地を差上げ、内匠頭と手を取り合って高野へ上がり、男を止める外は
無いと覚悟を決めた。」と申せば
「委細を聞き届ける。先程申した内匠頭の殿の口上は、将来差控える様に、その
内、是から述べる。」
との事で、監物殿は帰宅した。
その後、老中から監物殿へ奉書で、明け四ツ時御用があるので、浅野内匠頭殿
と同道で登城する様にとの事で、両人が登城すれば、老中方の列席で仰しやる
には
「今度、拝領仰付かった播州赤穂の地で、新城を築く事を、聞き届けると願い
通り仰付けられた。
しかし、あの地の城は特に公儀で入用という事では無いので、拝借という事では
仰付けられない。手前普請の事であれば、思うままに引き続いて築くように。」
と思召された。
「新城の築造が済む迄は、公儀普請の手伝いについては、容赦下されたい。」
との上意であった。
右のお礼のため、内匠頭殿は、老中方を回られた時、月番の老中方の門前で、
監物殿が内匠頭殿へ申されるには
「そなたは、老中方を残らず回わると思うが、外の老中方へは、自分は同道
出来ないので、その内参ってお礼する。」
と言えば、内匠頭殿が申すには
「今度は偏に、そなたのお陰と辱なく思っている。追っ付け老中方へ回わり
次第、参ってお礼する。」
と言えば、監物殿が申すには
「必ずしも、自分の方へお出下されなてもよい。」と申された。
老中方を回り、小幡勘兵衛方へ行かれ、赤穂の新城の縄張の相談を頼まれる
のが最もである。
「善は急げという事がある。」と申されたと、内匠頭殿の家来・井口与兵衛と
申す者が物語った。
(注釈)
播州赤穂
浅野内匠頭長矩 江戸中期の播州赤穂城主。 1667〜1701年。
常州 常陸の国。 茨城県。
水野監物 水野和泉守忠之。忠春の子。江戸中期の大名。
三河岡崎藩主。 1669〜1731年。
無余 余りのない完全なさま。(仏教語)
御用取次衆 将軍に近侍して、将軍と老中その他との用務取次を行う。
口上 口で言うこと。
采女 少領以上の家族から、選んで奉仕させた、後宮の女官。
采女司 采女をつかさどった役所。
手前普請 借家人などが、費用を自弁してする修理。