群馬県古墳巡り
2
観音塚考古資料館

観音塚考古資料館

剣崎長瀞西遺跡

様々な石造模造品(右)ほか

石器(下佐野遺跡)

土器(下佐野遺跡)

石器(行力春名社)

土器ほか(行力春名社)

石器(高崎城遺跡)

並榎台原遺跡

上並榎屋敷前遺跡

高崎情報団地U遺跡
観音塚考古資料館1

国指定重要文化財「上野国八幡観音塚古墳出土品」の
保存と公開を目的として昭和63年に開館した。
これらの出土品は昭和20年、防空壕を掘っていた地元の人々によって
偶然発見された石室内から発見された。
観音塚考古資料館2

埴輪片(観音塚古墳)

木の実ほか

銅地銀張双脚飾金具ほか

銅鋺

飾り馬

銅張鏡板

鉄製馬具類

鉄製環状鏡板付轡
観音塚考古資料館2

出土品は30種300点にのぼり、学術的価値が高く、
古墳時代後期の高度な技術、国際色豊かな先進性、
繊細な美意識などを現代の私たちに伝えてくれている。
観音塚考古資料館3

鞍金具ほか

鉄製・銅鋳製締金具

鉄製品

銀装圭頭大刀

刀子、刀身(左前)ほか

銀装鶏冠頭大刀

銀装圭頭大刀及び復元品

鉄製釘(左前)ほか
観音塚考古資料館3

副葬品は国の重要文化財に指定されており、
銅の鏡、銅の椀、金や銀の利器、工具などなど、
当時の工芸技術の水準の高さがうかがえる。
観音塚考古資料館

国指定文化財・鉄鏃

国指定文化財・珪甲、小札1

国指定文化財・珪甲、小札2

五鈴鏡(複製品)(右前)ほか

耳環(左前)ほか

金銅製円環金具(右前)ほか

承台付銅鋺

八幡遺跡20号墳(復元)
観音塚考古資料館4

このほか、市内の埋蔵文化財についても
旧石器時代から系統的に展示している。
こちらの資料も八幡塚出土品に劣らず、素晴らしい逸品ぞろい・・・
観音塚古墳



前方部

後円部

横穴式石室開口部

羨道

玄室正面

玄室壁面(左)

玄室壁面(右)

玄室天井

石室から羨道
観音塚古墳1

約1400年前の6世紀末に造られた前方後円墳。
前方部の幅・高さが後円部に比らべ大きく発達している。
巨石を利用した横穴式石室が露出している。
群馬県では最後に造られた大型前方後円墳です。
観音塚古墳

前方部

前方部石祠


前方部から後円部を望む

後円部石祠

後円部から前方部を望む
観音塚古墳2

全長は約105m、前方部幅105m、高さ14m。後円部径74m、高さ12m。
前方部4段、後円部3段築盛になっている。
石室は羨道を持つ両袖式で、羨道の長さは8.18m、最大幅1.95m。
玄室は最大幅3.55m、ながさ7.45m、高さ2,8。
銅鏡、銅碗、刀剣、馬具など多数出土している・
八幡古墳群

平塚公園

平塚古墳(前方部)

後円部墳頂(墓地)

八幡二子塚古墳全景

後円部
前方部
八幡平塚古墳(八幡古墳群)

5世紀末に築かれた前方後円墳。
全長約105m、前方部幅56m、後円部径66m、高さ9m。
一部は公園になっていて、墳頂部は個人お墓が建っている。
発掘調査により、周濠や葺石なども確認されている。

八幡二子塚古墳(八幡古墳群)

全長66.5mの前方後円墳で6世紀前半に築造されたと推測されている。
前方部幅42m、高さ6.5m、後円部径42m、高さ7m で2段になっている。
後円部南側に横穴式石室を持っていると推測されている。
発掘調査の結果、周濠や葺石などが確認されている。
八幡宮


仁王門

仁王像(吽形)

仁王像(阿形)

石段

随身門

左大臣像

右大臣像
八幡八幡宮1

祭神は誉田別尊、並神息長帯姫命、並神玉依姫命を祀る。
創建は平安時代の天徳元年(957)に京都石清水八幡宮より勧請したもの。
古くから一国一社八幡宮として広く崇敬されてきた。
八幡宮

参道を見下ろす

手水舎

神楽殿


旧本地堂(天満宮)


拝殿

献灯2

献灯1
 
常夜灯2
 
常夜灯1
 
拝殿正面
 
八幡八幡宮2

代々源氏の崇敬が深く、源義家は奥州征伐の折、当社に祈願し、戦勝の結果、社殿を改築した。
源頼朝は鎌倉幕府を開くと、神田百町を寄進し、全社殿など改築を行った。
八幡宮

拝殿彫物2

拝殿彫物2

天井絵2

天井絵2


正面扉

本殿彫物2

本殿彫物1

合祀社2

合祀社1

東照宮

鍾堂
八幡八幡宮3

その後、武田信玄、豊臣秀吉、徳川家康といった武将からも厚く崇敬された。
江戸時代には三代将軍・家光から社領百石の朱印を賜った。
 大聖護国寺

山門

地蔵尊

旧山門

阿弥陀堂



阿弥陀如来

愛染明王

薬師如来

本堂


内陣
 
 
本尊不動明王
大聖護国寺

真言宗豊山派のお寺で、江戸の護国寺の前身。本尊は不動明王。
開山は鎌倉時代の建保4年(1214)に八幡宮の別当寺として建てられた。
徳川5代将軍・綱吉公の生母「桂昌院」様ゆかりのお寺。
寛文元年(1661)、後の徳川綱吉が、館林藩に封ぜられると、
生母・桂昌院が帰依していた僧、亮賢を招き、住職とした。
 
 
 達磨寺

山門


地蔵尊

洗心亭



招福の鐘
達磨寺1

少林山鳳台院達磨寺という黄檗宗のお寺。本尊は十一面観音。
達磨大師の教えを受け継ぐ、縁起だるま発祥の寺。
天明の飢饉の後、九代目東嶽和尚が苦しい農民の副業になるようにと、
開山心越禅師が描いた一筆達磨像をもとに、張り子だるまを作った。
 
 達磨寺

 本堂
 
 
本堂正面
 
扁額
 
御礼達磨2

御礼達磨1 

観音堂

扁額

観音像

達磨堂

達磨像
達磨寺2

創建などは不詳ですが、寺伝では古くから観音堂があり、
延宝年間(1673〜81)一了が達磨禅師の像を彫り安置したのが始まり。
当初は曹洞宗であったが、明治になり黄檗宗になった。
境内には達磨堂や洗心亭などがある。 
 
群馬県古墳巡り
.藤岡市1 2.上野三碑めぐり 3.藤岡2+ 4.高崎1 5.高崎2 6. 

福川タカ子のホームページ


福川さんちのホームパージ

しらとり保育室のホームページ
トップページへ
tfukukawa@ic-net.or.jp
ご意見ご感想はこちらまで