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黒磯神社1 那須野原に国道、鉄道が開設されてから黒磯は交通の要所となり、 住民が増加するに伴って、敬神の念が篤い人々によって、 明治25年(1892)に郷土の旧家・渋井氏の寄贈により創立された。 黒磯郷の総鎮守で創立100周年を迎える。 |
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黒磯神社2 祭神は天照皇大御神、大巳貴神、宇迦御魂神の三柱を祀る。 このほか境内には国常立命、面足尊、惶根尊を祀る足尾神社や 四国阿波の移住者が祀る五角形の地神碑などがある。 |
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金乗院2 関東の三大霊地の一つとして信仰を集め、 北関東三十六不動尊霊場の第23番札所となっている。 境内には波切不動尊の滝などがあり、多くの参拝客で賑わう。 |
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金乗院奥の院 金乗院の奥の院は地蔵堂(ノゲの地蔵)で大正7年(1918)から昭和2年(1927)まで 10年の歳月をかけて竣工した木造平屋建てで、市の文化財になっている。 特に向拝部分の彫刻が優れていてよく残っている。 内部には本尊の両脇に「とげぬき地蔵尊」と「子育て地蔵尊」が安置されている。 |
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乃木神社1 創建は大正5年(1916)、乃木希典(陸軍大将)、静子夫妻を祭神として祀り、創設された。 大正元年(1912)、明治天皇が崩御すると乃木希典夫妻は大葬を待って殉死した。 別邸があった那須地区の人々は深く悲しみ、神社建立の提案がなされた。 宝物館には将軍の使っていた日用品など遺品が展示されている。 |
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乃木神社2 乃木希典は度々、休暇を取り那須の別邸で、 「農は国の大本なり」と仰せられ、畑仕事に勤しんだといわれている。 社域は16,000uあり、乃木将軍の別邸などが残る。 文武両道、夫婦和合、土徳勧農の神。 |
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宗源寺1 日照山宗源寺という曹洞宗のお寺。 明治19年(1886)に東北本線の開業に伴い、新橋で運送業を営む井上松兵衛が 子がないため、養子に家督を相続させ、隠居して西那須野に中継ぎ店を開業。 妻は観音堂に日参し、その甲斐あって子宝に恵まれた。 そのお礼に足利公の隠居寺「宗源寺」を明治25年(1892)に移転した。 |
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宗源寺2 本尊は白衣観音で中国清朝時代のものと思われる。 御本尊は那須三十三観音霊場十五番札所になっている。 境内には水子地蔵尊やボケ封じ観音などが祀られている。 |
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三島神社 御祭神は三島通庸を祀る。 三島通庸は明治維新以降東京府権参事をはじめ、 酒田山形県令や栃木県令などを歴任した。 那須野ヶ原の開拓をはじめ産業の発展に尽くした。 その偉業をしのび、明治39年(1906)、母智丘神社から分祀して建立した。 五色の茅の輪くぐりが印象的・・・ |
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常盤ヶ丘 標高248.5mの丘で中腹には那須野ヶ原開拓の恩人 印南丈作、矢板武、安藤治輔、品川貞之進、印南トメの5人の墓がある。 印南丈作はこの地を深く愛し、本人の希望により死後ここに葬られた。 その後、印南丈作と深いかかわりのある4人がその傍らに眠る。 |
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長延寺 明治18年(1885)、大田原佐久山の正浄寺の説教場として開かれた。 浄土真宗西本願寺派に属し、本尊は阿弥陀如来。 開拓時代の西那須野地区に最初にできた仏教施設で、 学校のなかった開拓期の子供の教育の場でもあった。 |
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霞ケ浦常陸風土記を歩く会 | |||||||||||||||||
第16回 | |||||||||||||||||
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