霊厳夜話
 
 

第18話 信長公 秀吉公 噂の事 (天下統一後、将軍宣下延期の事)
    1、問 織田信長公の手に入った国といえば、14・5ヶ国も有るか無いかといった
          時、早速、天下取りの振る舞いをされ、大臣に任じられた。
          その後、豊臣秀吉公もその身を公家に加わり、関白職となって宮中の威光を
          楽しんで威張り、天下取りの威勢を振る舞った。
        しかし、權現様と織田内大臣の両人は、豊臣家の幕下・旗下という訳でも無く
          お客扱いであった。
          その他、小田原の北条家、水戸の佐竹を初め、出羽、奥州筋の諸大名は、
          1590年(天正18年)迄は、上洛(じょうらく)などという事も無く、我がままに在国
          した様であった。
          權現様は、1600年(慶長5年)関ヶ原の一戦に勝利され、逆徒の張本・
          浮田・石田・小西・大谷を初め、凶徒を残らず退治された。
          その他、佐竹・秋田・上杉家を初め、丹波・立花の族は、知行を減少して、
          所替へをさせ、又は、領地を取上げ、秀頼公の万国取りの、平大名にして置
          いている様であれば、日本の国中で、異議を申す者は一人も無かった。
          将軍宣下の、知らせも無くて、官位も以前の内府様で、3・4年されている
          のを、その時の天下の諸人達が不審を立てた。
          この事を如何聞かれておられるか。
    1、答 「すべて自然・天然の道理を不用して、事の印を急ぐというのは、すべて
          子供の好みとなっては、良くない。」と伝へられている。
          權現様のお噂を、筆者の様な者の口から言うのは、勿体無い事であるが、
          関係ない人でも、お変わりないというのは、權現様であるから合点するのは
          別に不審な事では無い。
          子細を言うと、その頃、天下統一の上で将軍宣下の知らせが無いので、外様
          大名衆の中でも、思い付きを申上げる方もあり、第一に禁裏向((注釈))から催促らし
          内勅((注釈))の知らせが有った。
          その様な時でもあろうか、金地院と藤堂高虎の両人が、座敷に居て話しをし
          ている時、早速将軍宣下を仰出られたのかと、下々で噂をしているとの事を
          申上げれば、それを聞かれ
          「我等が将軍であると言うのは、違いないので天下の万民が、安堵の儀式など
          を、決めるというのは、大事である。
          その上、諸大名も、方々で国替・所替があって多忙な中で、我等が将軍であ
          ると言うのは及び難い。」という上意があったのでその時、(もっぱ)ら噂になった。
          天下統一の後、2年の間は何の知らせも無く、1603年(慶長8年)将軍
          宣下の指図の、取扱いになった。
  (注釈)
     禁裏向(きんりむき)  宮中。
     内勅(ないちょく)   内密のみことのり。 


    1、問 權現様将軍宣下の後、諸大名方初め、日本国中の寺社も、御朱印を下され
          たのであろうか。
    1、答 天下統一の後、譜代外様の大名方へ、国替・所替を、仰出られたのは、慶長
          5年から2・3年の間、すべて、權現様の代に、仰付けられた事ではあるが
          秀忠公様の代になって、御当家の、代交り初めての、御朱印を下された。
          今は、その許されない者達は、御朱印の年号に頼って、国替・所替・御加
          増地は、すべて秀忠公様が仰付けた様に心得ていたが、全然違った。

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