群馬県古墳巡り
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かみつけの里博物館

博物館入口

埴輪棺

古墳時代の衣装

盾を持つ武人

円筒埴輪1

円筒埴輪2

馬型埴輪

円筒埴輪

椅子にすわる男子
かみつけの里博物館1(よみがえる5世紀の世界)

榛名山東南麓で出土した5世紀後半(古墳時代)の
人物、動物埴輪が当時を再現した模型で展示されている考古博物館。
遠く、1500年前に思いをはせ、古代人の生活の逞しさ、技術のすばらしさ、
埴輪に見られる心の豊かさに触れられる。
かみつけの里博物館2

木製の板(左)ほか

石製農具(右)ほか

鉄鏃ほか

環頭大刀

馬具(左)ほか

ガラス玉(中央後)ほか

太杭(後)ほか

木製鋤(右)ほか

王の館で使われた土器

水田祭り
かみつけの里博物館2(王の館)

博物館には9つのコーナーがあり、当時のこの付近の村の様子、
被葬者の推定、この当時の暮らし、古墳の構造など分かり易く展示している。
このころの東アジアとの交流など、出土品によって技術力の優れた文化がもたらされていた。
併せて、農耕の様子、日本でのモノづくりなどなど・・・
かみつけの里博物館3

かまど

土器(蒸し器)

須恵器・器台

円筒形埴輪ほか

日本最古の水道橋(後)ほか

装飾具

馬につける鐘(右)・国指定重要文化財ほか
かみつけの里博物館3(海の向こうからやってきた人々)

下芝谷ツ古墳から発見された日本最古の飾履(金の靴)の展示を中心に
朝鮮半島の影響を受けた積石古墳の分布など様々な渡来文化を紹介。
銅鏡をはじめ銅鍾、杏葉等どれをとっても逸品ぞろい。
日本では土器や埴輪づくりの盛んに行われていた。
かみつけの里博物館

杯をささげる男子

椅子にすわる男子

よろいを着た人物

たてを持つ人物1

たてを持つ人物

鳥型埴輪

矢の刺さった鹿

飾り馬
かみつけの里博物館4(埴輪の人、動物、もの)

人物埴輪、動物埴輪、器材埴輪など種類ごとに埴輪を展示。
その種類と数は飛びぬけて多く、また、よく残り保存されている。
埴輪が示す古墳時代の人々の実像を紹介している。
かみつけの里博物館5

家型埴輪

甲冑型埴輪

高い器台に乗った壷

朝顔型埴輪(左)ほか

飾り馬

埴輪群像1

武人

盾持人

豚(右)ほか
かみつけの里博物館5(埴輪に秘められた物語)

保渡田7遺跡から出土した埴輪群像を中心に埴輪の物語るストーリーを展示。
王の埴輪を中心とする群像、狩人の埴輪やイノシシの埴輪などからなる狩人群像。
葬送や王位継承などの儀礼等々、当時の精神生活を表している。
かみつけの里博物館6

朝鮮半島製の土器(左)ほか

朝鮮半島軟質土器

履物

祭祀に使われた土器

かまど周辺の土器

祭祀道具

田下駄(前)ほか
かみつけの里博物館6

このころの古墳からは朝鮮半島からの舶載品が多く出土している。
併せて、日本でもその模造品が製作されるようになった。
その周辺からは祭祀に使われたとみられる品々も出土している。
八幡塚古墳


全景

埴輪群像1

埴輪群像2

埴輪群像3

埴輪群像4

埴輪群像5

埴輪群像
八幡塚古墳1

全長102mで3段に造られていて、内堀、外堀、外周溝が巡り、
墓域は190m×146mにも及ぶ前方後円墳。
さらに内堀の中には祭祀場と見られる中島が4っあるのが特徴。
後円部56m、高さ現存約6m、前方部幅53m、高さは削平されていて不明。
八幡塚古墳

外堀 
 
内提

内堀

中の島

前方部石積

後円部石積

墳頂から二子山古墳を望む


墳頂より赤城山を望む
八幡塚古墳2

この古墳には約6000本の埴輪が配置されていた。
現在内堤内の上2か所に、人物、動物埴輪を置く、
形象埴輪配列区があり、各々約50本ずつ復元している。
八幡塚古墳

後円部

後円部から前方部を望む

前方部

前方部から後円部を望む

舟形石棺

全景

横から

竪穴式石廓
八幡塚古墳3

墓域は後円部に2か所設置されており、
一つは古墳を造らせた豪族本人、
一つはその近親者と考えられている。
後円部の石室内には舟形石棺が展示されている。
二子山古墳


八幡塚古墳より二子山古墳を見る

後円部登リ口

後円部石室模型

中島

後円部から前方部


正面から
二子山古墳

墳丘の長さ約108m、内堀、外堀を巡らせている。
外堀まで含めると全長は213m×173m。5世紀後半に築造されたとみられる。
後円部74m、高さ10m、前方部幅71m、高さ7m。
墳丘上にある埋葬施設には大型の舟形石棺がある。
また、内堀には祭祀場と思われる中島が4つ配置されている。
この古墳にも埴輪が垣根のように並んでいた。
 西光寺


六地蔵

地蔵尊

鬼瓦

本堂

本堂扁額

内陣

本尊・阿弥陀如来

龍像
 西光寺

紫雲山東陽院西光寺という浄土宗のお寺。
創建は室町時代、応永2年(1395)随泉和尚の開山と伝わる。
元亀二年(1571)誓願上人が中興し、その後焼失。
当時の高崎藩主が薬師如来像を祀るため、古墳上に薬師堂を建て現在地に移転した。
 
 薬師塚古墳


保渡田薬師塚古墳
 
十三重石塔
 
宝篋塔

薬師堂

内部



鮒が石棺

 保渡田薬師塚古墳

全長約105mで内堀と外堀を巡らせている前方後円墳。
後円部径約66m、前方部72m、3段に築成されている。5世紀後半に造られたとみられる。
墳丘部が西光寺の堂宇や墓地のため削平されている。
墳頂には薬師堂があり、薬師如来を祀る。また、舟形石棺が展示されている。
 
 妙見寺

 
 
参道

金刀比羅社

扁額

石塔

石仏

妙見堂

扁額

石祠

歴代重症墓地
妙見寺1

上栄山文明院妙見寺という日蓮宗のお寺。
明治18年(1885)の創建で開山は文明院日薩和上。
開基は文和院日燦上人。
本尊は寺宝である日薩上人直筆の大曼荼羅。
 
  妙見寺

妙見堂 
 
蟇股

彫物1 
 
彫物2

本堂

扁額

大イチョウの木

長寿観音

鍾堂
妙見寺2

妙見寺のシンボル妙見菩薩など多くの仏像がある。
妙見菩薩は北極星の神格化された菩薩です。
北斗七星が周りを照らし、目標をしっかり見据えれば、
道が開ける、開運の神様です。
 
 上野国分寺館 

上野国分寺館 
 
 
七十塔(復元模型)

南大門(復元模型)

丸瓦ほか1 
 
丸瓦ほか2

丸瓦ほか3

角閃岩、安山岩切石

鉄くぎほか

漆喰(壁)ほか

錠ほか

文字瓦1
 
文字瓦2 
 
塑像裳衣(右上)ほか
 
塔周辺出土品
上野国分寺館

上野国分寺館は上野国分寺跡の発掘調査で出土した品々や
1/20の大きさで復元した七重の塔などを展示しています。
出土品では丸瓦や文字瓦や建築に使ったとみられる鉄くぎなど貴重な資料が見られる。
 
 上野国分寺跡 
 
 
築垣(復元)

 
 
七重塔基壇

礎石群

礎石
   

金堂基壇

金堂礎石群1

金堂礎石群2
上野国分寺跡

天平13年(741)、聖武天皇によって国分寺創建の詔が発せられた。
仏教の力により災害や疫病を防ぎ、五穀豊穣を祈った。
寺は国分僧寺と国分尼寺の二寺制としました。
国分僧寺は「金光明四天王護国之寺」として七重塔を建て、「金光明最勝王経」を安置した。
上野国分寺跡は上野国の国分寺の跡。
七重塔跡、金堂跡などが残る・・・
 
 
群馬県古墳巡り
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