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島護産泰神社 創立年代は明らかではないが、旧榛沢郡内の開拓が 当社の加護により勧められた為、郡内の総鎮守といわれるようになった。 祭神は瓊瓊杵命(ににぎのみこと)と・木之花咲夜姫命(このはなさくやひめのみこと)といわれる。 安産の神として遠近より信仰されている。 |
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普済寺 建久2年(1191)岡部六弥太忠澄が栄朝禅師を招いて創建したといわれている。 曹洞宗のお寺で本尊は十一面観音で、六弥太の遺品が残る。 御霊屋と称する宝蔵には江戸時代のものといわれる六弥太夫婦の木像が安置されている。 本堂正面の丸に十は岡部家の家紋。 |
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岡部六弥太忠澄の墓 六弥太忠澄は武蔵七党の猪俣党の出身で、保元・平治の乱で活躍、 更には一の谷の合戦では平忠度を討ち取ったことで有名になった。 墓には鎌倉時代の五輪塔が並び、北側の三基のうち中央の最も大きいのが六弥太忠澄の墓。 右側が父行忠の墓で、左側が夫人玉野井の墓といわれている。 |
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菅原神社(普済寺)2 菅原神社と隣り合って、弁天池に厳島神社が建つ。 こちらも創立年代は不詳だが、弁天様と呼ばれ、水の神様を祀る。 普済寺を含めこの辺りは神仏混淆の名残をとどめる・・・ |
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源勝院 玉鳳山源勝院千手寺という曹洞宗のお寺。 岡部を領地とした安部家の菩提寺。 天正18年(1590)、初代・安部信勝は徳川家康の関東入国とともに岡部の領地を与えられた。 境内墓地内に二代信盛から十三代信資まで十二基の墓が残る。 |
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岡部神社 従来は聖天宮と称され、本殿には歓喜天の木像が安置されている。 明治12年(1879)、岡部神社と改称し、現在に至っている。 岡部六弥太忠澄の祈願所といわれ、記念に杉を植えたのが始まり。 関東入国とともに、岡部藩安部氏が崇拝した。 |
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白蓮寺 白蓮院は7岡部藩主の祖・安部大蔵元眞の室である。 天正18年(1590)、元眞の子弥一郎信勝の時、岡部を領して、陣屋を構えた。 白蓮院も岡部に同行したが、その12月に亡くなった。 開山年月は不明ながら、法名「白蓮院」を寺号とした。 |
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愛宕神社古墳 一辺37m、高さ5.5mの方墳、墳頂に愛宕神社が祀られている。 7世紀末の築造とみられ、関東地方においては数少ない方墳。 葺石、埴輪などの有無は不明であり、神社の創建年代も不明だが、 岡部六弥太忠澄の信仰が厚く、火防の神として崇敬されている。 |
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