霊厳夜話
 
 

第37話 肥後国守護職の事
  1、問 何時(いつ)頃の事か公方((注釈))様が、御機嫌を(そこ)その日に限って、御城で御用が
         多く有り、やがて七ツ前迄、詰めて退出した老中方を、急に呼ばれ(いず)れも、
         早駕籠で、(にわ)かに登城したので、下々迄が、驚いたという事があったのを
         如何様に聞いているか。
  1、答 その事を筆者が聞いているのは、大猷院様の代の事である。
       子細は、その時、加藤肥後守殿が身上を果たした後、肥後の国守の仰付けが
         無いので、誰に、拝領を仰付けるのかという事を、江戸中の諸人が、聞耳を
         立て、噂をしている時、御城で御用が有り、その席で、宗忠が肥後の国主の
         お選びの、お知らせが有った。
         どの様な御用で有るのだろうか、いつもは、老中方は八ツ時になれば、その
         まま退出するのに、その日は七ツ頃になって、(いず)れも退出されたが、御側
         から御用が有るので、今から登城する様にと言って来た。
         土井大炊頭殿は、帰宅すると、(かみしも)を脱ぎ、留守中の用件を聞いていたが、
         呼んでいるとの事で、早々支度を調(ととの)へ、屋敷の門外へ出られたら、小人衆が
         走って来て、急いで参上する様にとの事で、(それ)から早駕籠で登城した。
         他の老中方は参上したけれど、井伊掃部頭(かもんのかみ)殿が遅いので、(いず)れも待合わせて
         いたが、「未だ、揃わないのか。」とお尋ねになられた。
         その後、老中方が御前へ出られたが、公方様は、殊の外面白くない様子に、
         見えられ、各位に向かって
         「その方達をを呼んだのは、特別な事では無い。最早、我が天下の統治は
         出来ない。この事を各位に伝えるためである。」との上意で、各位が驚いて
         ()(かく)と、応じる事もなかったが、
         (それ)は、如何様な思いでの上意でありましょうか。」と大炊頭殿が申上げれば
         「今日、各位に話した肥後の国主の事は、近い内に言い渡すので、先達って
         その方へ告知する事は出来ない。その様に、密談の事が洩れ安くては、我が
         天下の統治が出来る事か。」との上意なので、
         「その事は恐悦の至り、目出度い事であります。」大炊頭殿が申上げれば、
         やゝ御機嫌悪くなり、大炊頭殿へ向かわれ、
         「その方は、密談の事が洩れ安いというのを、目出度いと言うが、(それ)は注意
         して聞く事である。その子細を申せ。」と言う上意で、大炊頭殿が居る所へ
         座を詰め寄られたので、掃部頭(かもんのかみ)殿を初め、老中方何れも驚き、恐れていたら
         大炊頭殿が申上げるには
         「是に居られる同役達は、何れも知っての通り、なんとしても急いで言いふら
         してはならない御用向が有った時、詰番頭・諸役人達へ申し渡し、言いふら
         させても、その日の内には末端迄、広く知らせる事は出来ない。
         肥後の国の守護職は、誰に仰付けられるのだろうか、という事を、下々では
         諸人が聞き耳を立てゝいる。
         私儀は、何時でも八つの太鼓が鳴れば退出するのを、今日はあれこれと御用
         が多く、いちずに、七つ頃迄御城に居たので、さては肥後の国主が(きわ)まった
         かと推量し、それについては、細川越中守より他には無いと、江戸中が噂に
         なっていると思う。
         しっかり者の上、御一人の思いと万民の思い付きと同じという事は、恐悦至極
         の事なので、目出度い事と申し上げる。
         私儀は、毎日二人ずつ内々で、江戸中へ探偵を差出したが、私儀が未だ御城
         に居て帰宅しない内に、二人の者が帰り、一人は芝札の辻辺り、一人は牛込
         辺りで、細川越中守へ肥後国拝領を仰付かったのかという事と、受け入れた
         書付をして、用人達方迄差出して置いたと言って、二通の書付を差上げれば
         目を通され、少し、ご機嫌も(やわら)ぎ、掃部頭(かもんのかみ)殿も、大炊頭殿が申上げた通り、
         私儀も、同様に思います。」と御挨拶申上げれば、笑われながら
         「何れも、呼んで集める事では無かったので、早々帰って休息する様に。」
         との上意で、各位が帰宅して済んだ。 
  (注釈)
    
公方(くぼう)      征夷大将軍。 幕府の主宰者で、兵権と政権を掌握した者の職名
     七ツ時     午後四時頃。
     尾張の人。   豊臣秀吉の家臣。
     八ツ時     午後二時頃。
     井伊      江戸時代の譜代大名。 歴代直孝以後、掃部頭(かもんのかみ) を称した。
     井伊直孝    江戸初期の武将。   大老格。  1590年〜1659年。
     細川越中守重賢 江戸中期の熊本藩主。       1720年〜1785年。
    用人(ようにん)      大名・旗本の家で家老の次に位し、庶務・会計などに当った職。

  1、問 肥後の国守の仰付けられるには、必らずしも細川殿に限った事では無いのに、
         越中守殿だけに限ったように噂をしたのは、何か子細が有ったのだろうか。
  1、答 その事を筆者が聞いているのは、越中守殿はその時迄、豊前国小倉の城主で
         有った。
         或年、異常な干旱(かんばつ)で百姓達が、当分の食物にも難儀し(いわん)や、来作の不毛の
         見当が全くつか無い、という事を役人達に及べば、越中守殿が殊の外、苦労
         された。
         大方の事では済まないというので、父親の、幽斉以来伝来の名物の茶入れ
         を、近習((注釈))の侍二人に、持たせて京都へ行かし、是を質物にして金を借りた分
         では足らないので、少しでも値段を適当に、売払うようにと言って、上方へ
         持参したら、調べたいと望む者がいたけれど
         「この茶入れは、天下の名物でもあれば、内々で賣売も如何なものか。」
         といって、所司代((注釈))へ伺ったら、板倉殿が申すには
         「その始末する由緒はともかく、当分の持ち主は越中守殿で有ったが、金子
         が入用なので、売払う事については、差支へないので望む者は心次第である。
         但し、この茶入れは自分は、名を前から聞いているが、遂に見ない間いよゝ
         買い求め、物品のやりとりも済んだので、一覧する。との事で済んだ。
         二人の侍達は、金子を受取り、大坂表へ持って行って、米・麦・(ひえ)・その他
         何でも、農民達の食物になる物を、金子の範囲内で買い調へて、船に積み
         小倉へ着岸した後も、穀物をすべて領分へ配給したので、飢えていた百姓達が
         力を得て、作業に取掛かった。
         この事は世間でも噂になり、今後共に国郡の主である人の良い手本となった
         と言って、越中守殿は世間で評判になったので、今度(このたび)肥後の国主には細川殿
         より他はないと人々が申された
  (注釈)
     京都所司代  京都に在勤、朝廷・公家に関する事をつかさどる。

第6巻37話
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