
第40話
1、問 上野不忍池の中島は、以前から築かれていたのであろうか。
1、答 中島の事を筆者が聞いているのは、東叡山が開かれた以後、天海僧正と水谷
伊勢守殿は心安かった。
或時、僧正方へ水谷殿が振舞に参った時、伊勢守殿が申すには
当山は、都の叡山に準じ東叡山と名付けられたが、不忍須の池というのは、
幸福という事である。
池を湖水に似せて、中島を築き、竹生島を移して、弁天堂を建立しては如何
であろうか。」と言われたので、僧正が聞かれて
「夫こそ、我等が願っていたけれど、池の水が殊の外深くて、中々築く事が
出来無いと諸人が申したので、その通りにして置いた。」と言った。
伊勢守殿が申されるには、
「例え、何程水底が深くても、小島の一つだけ築くというのは容易である。
幸い今度、浅草寺の掃除の普請を仰付けられ、そのため人夫を多く呼び寄せ
て置いた。
その普請が済み次第、直ちに、池の中島の普請を申付けた。
十日程の間、人足達が居る所と土取り場迄の事を、当山の中で差図されたい。」
と言えば、僧正が申されるには
「人足達の居所は、何程であっても、寺中で申し受ける。
しかし寺院方の山門先の場所が広くないので、池の端から上手の土を何程も
入用次第取る様に。」といった。
その内、普請も出来たので、浅草川から船を持入れ十日ばかりの間に、島を
築いて弁天堂も、伊勢守殿が建立した。
伊勢守殿が申すには、
「諸人の参詣のため、弁天繁昌のため更に、陸続きに申し付け様か。」
と言えば、僧正が申されるには
「竹生島に準じ船で往来するのが良い。」と申された。
夫から、後々迄も船で往来した。
(注釈)
不忍池 上野公園の南西部にある池。蓮の名所。
1625年(寛永2年)寛永寺建立の際、池に弁財天を祀ってから
有名になる。
弁財天 音楽・弁財・財福などつかさどる女神。
叡山 比叡山の略。
東叡山
東の比叡山の意味。東京上野の寛永寺の山号。
竹生島 琵琶湖の北部にある島。