
第38話 御成先御目見得の事
1、問 以前は、公方様御成りの時の、直参衆は、御成り先へ参ろうとするとすぐ
家来達を始末して、自身は御目通りに平伏して居て、つらくない作法であった
が、その後、御法度に仰付けたのは、何時頃の事であると聞かれているか。
1、答 筆者が聞いているのは、權現様・台徳院様の代は言う迄も無く、大猷院様の代
の初め迄以前の通りであったが、その後、御成り先の御目見得は、御法度に
仰せられた。
その時の事でも有ったか、上野へ御成りの時、神田橋御門外の町屋の辺りに
旗本衆の一人が平伏して居た。
牧野佐渡守殿が、若年寄の時、御駕籠の左の方に御供をしていたが
「さてゝ当年の鴨は早く参った。」
と申上げ、板塀の方を御覧になれば、黒鴨である。
「真鴨では無い。」という上意を佐渡守殿が聞かれて
「いや真鴨に間違いは無い。」と申上げれば
「その方は、真鴨と黒鴨とを、見分けられるのか。」との上意で笑われたので
「本当に上意の通り、良く見れば黒鴨でありました。」
と申上げて話をしている内に、御駕籠が行き過ぎた。
上野に着かれ、御本坊へ入られた後、右の方に御供されていた御側衆が、
佐渡守殿へ申されるには
「先程神田橋御門外で、先日御法度に仰せられた、御成り先きの御目見得を
された人が居たが、徒目付衆が見咎められたと見へて、その人の側へ寄って
吟味をした様子であった。
間違いなく名前を聞いて、確かめて置く様に、お尋ねになったのか。」
と申せば、佐渡守殿が言うには、
「座礼の事である。手前も、神田橋御門外の橋の上から見掛けて、気の毒に
思ったが、その時、御掘の中に居た鴨の事で、手前へ、何かと上意の内に
御駕籠が行き過ぎたので、お目障りでも成ったのではないか。
殊更、当山へ御成日でも有れば、最早その通りである。
その人の名を聞くには及ばない。」
と、申されて済んだ。
(注釈)
御成り 将軍などの外出・来着の尊敬語。
直参衆 旗本・御家人の総称。
御目見得 旗本が親しく将軍にお目通りすること。
本坊 住職が住む所。
徒目付 目付の指揮を受け警備などに従事。
座礼 座ったままでする礼。