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香椎宮1 仲哀天皇9年(200)神功皇后自ら祠を立て、仲哀天皇の神霊を祀ったのが起源。 神功皇后の宮は元正天皇の御神托より、聖武天皇の神龜元年(724)に竣工、 この両宮を併せて香椎廟と称した。 天皇の使者が訪れる全国16勅祭社の一つ。 |
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香椎宮2 主祭神は仲哀天皇、神功皇后、配神は応仁天皇、住吉大神。 仲哀天皇は筑紫国の橿日宮で内政外交に御奨励され、国際国家としての日本の地位を確立された。 神功皇后は三韓征伐の際、ご懐妊の身にもかかわらず、出征され、帰国後無事出産された。 応神天皇は国際国家としてますます発展し、我が国の礎となりました。 住吉大神は渡海に際し、神功皇后に御神託を授け、海の安全の守護を行った。 |
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香椎宮3 本殿は神龜元年(724)に建立され、 現在の本殿は寛政13年(1801)に第十代福岡藩主・黒田長頼により再建された。 香椎造という唯一の建築様式で作られ、県の文化財になっている。 境内は広大で、境内社が多く、見どころが多い。 |
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香椎宮4 仲哀天皇、神功皇后に仕えた五大臣・武内宿祢の武内神社をはじめ、 巻尾神社、叉、珍しいところでは鶏を石に変えてお守りしたという鶏石神社など・・・ 子どもの神様で、横には稲荷神社が並ぶ。 宮の奥には香椎宮の起源の地、古宮があり、御神木「香椎」が残る。 |
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香椎宮5 境内の表に目を向ければ、右手にはしょうぶ池がある。 その中の島には弁財天を祀る。 この弁財天はいわずと知れた市杵嶋姫を祀る。 美しい弁財天を見ることが出来る。 |
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報恩寺 神龍山報恩寺という臨済宗妙心寺派のお寺。 建久4年(1192)、栄西禅師が創建した禅寺。 天正14年(1586)、島津対大友軍の戦いにより堂宇、菩提樹など焼失。 その後、約400年間、観音堂と薬師堂の2堂のみ残っていたが、 1930年、聖福寺塔頭・円覚寺の猷山和尚が伽藍復興を発願して再建した。 境内の菩提樹は建久2年(1190)、栄西禅師が宋・天台山の菩提樹を 香椎宮に贈ったといわれている。(現在のものは再建時のもの)。 |
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筥崎宮1 筥崎宮は箱崎八幡宮とも称し、宇佐、岩清水両宮とともに 日本三大八幡宮に数えられている。 御祭神は筑紫国蚊田の里でお生まれになった応神天皇を主祭神に 神功皇后、玉依姫命をお祀りする。 |
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筥崎宮2 創建については諸説あるが、古録によれば、 延喜21年(921)、醍醐天皇の神勅により、「敵国降伏」の宸筆を下賜され、 この地に壮麗な御社殿を建立して、 延長元年(923)筑前大分宮より遷座した。 |
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