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若泉稲荷神社1 治承4年(1180)、武蔵守維行六世の孫荘太郎家長が東本庄に館を構えた時、 当社より500m南東にある稲荷神社の地に居館の鎮守として創建したと伝えれれている。 その後、徳川家康の関東入国に伴い、小笠原掃部太夫信嶺が 本庄城主になった際、旧領主本庄氏が勧請した当社をこの地に奉遷して社殿を建立。 庄名により若泉稲荷神社と称するようになった。 |
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若泉稲荷神社2 祭神は倉稲魂命を祀る。 飛び地旧境内には東本庄稲荷神社がある。 社殿は若泉稲荷神社古墳(円墳、東西径21m、南北38m、高さ2.6m)の上に建つ。 本殿には三面彫刻が残る。 |
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円心寺2 山門は天明年間(1781〜89)の建築と伝えられており、 木造2層建築の鐘楼山門で市の文化財になっている。 その色から「赤門」と呼ばれ親しまれている。 境内には本庄七福神の「福禄寿」が祀られている。 |
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城山稲荷神社1 本庄城は弘治2年(1556)に本庄宮内少輔実忠が築城した平城。 天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めによって落城。 徳川家康の関東入国後、小笠原信嶺が新城主になったが、嗣子の信之が 慶長17年(1612)、古河に移され、廃城となった。 |
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城山稲荷神社2 城山稲荷神社は社伝によれば、本庄城を築いた本庄実忠が椿稲荷神社を 城の守護神として勧請したのが始まり。その後、小笠原氏も厚く信仰して社殿を再建した。 境内のケヤキの大木は本庄実忠が献木したものと言われ、幹回り約13m、 高さ30m、樹齢は400年と言われ県の天然記念物になっている。 |
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八坂神社(本庄) 社伝によれば、弘治2年(1556)に城下町の疫病除けとして、本庄実忠が勧請したと伝えられている。 祭神は健速須佐之男命を祀る。現在の本殿は明暦2年(1656)再建されたもの。 この神社の祭礼には獅子舞が奉納され、昔より、干ばつ時にこの獅子舞を奉納すると 必ず雨が降るといわれ、「雨乞獅子舞」と言われ、市の無形文化財になっている。 |
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大正院 薬王山東巌寺大正院という真言宗智山派のお寺で、本尊は大日如来。 天正11年(1583)権律師正算の開山で、栗崎宥勝寺の末寺。 現在の本堂は昭和40年に新築したもので、本堂と相対して不動堂と薬師堂がある。 境内には武州本庄七福神の銭洗弁財天を祀る。 |
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城立寺 鉢形山浄眼院城立寺という日蓮宗の単立寺院。 天正年間(1573〜92)、寄居の鉢形城の城主・北条氏邦が城内に建立した祈願所が起源。 明治31年’1898)、現在地に移転した。 境内には本庄七福神の大黒尊天が祀られている。 |
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開善寺 畳秀山開善寺という臨済宗妙心寺派のお寺。 創建は天正19年(1591)本庄城主・小笠原信嶺が開基し、球山宗温和尚の開山で、本尊は正観世音菩薩。 和尚は信嶺の夫人の兄で、竹田信玄の弟・逍遥軒の子で、仏門に入り信嶺に招かれて開山した。 当寺墓地には小笠原信嶺夫妻の墓が残る。 また、境内には本庄七福神の布袋尊が祀られている。 |
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