群馬県古墳巡り
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光厳寺

十三重石塔

楼門

楼門扁額

境内

長屋門(通用門)


石灯籠

本堂
光厳寺1

秋元山江月院光厳寺という天台宗のお寺。本尊は釈迦牟尼如来。
慶長6年(1601)、総社初代藩主・秋元長朝が徳蔵寺の亮應を招いて開山。
秋元家の歴代墓所になった。
2代藩主秋元泰朝は寛永10年〈1633)に甲州谷村藩1万8千石に移封したが、
光厳寺は随行せず、この地に留まり、秋元家の菩提を弔った。
光厳寺2

水子地蔵尊

ぼけ封じ観音

薬師堂

元三大師堂

秋元氏霊廟

七重石塔

力田遺愛碑


鍾堂

医薬門(裏口)
光厳寺2

寛永2年〈1626)には2代将軍秀忠より16石が加増され合計46石の朱印地を賜り、
この地の天台宗の修業寺として時運が隆盛した。
裏口の医薬門は江戸時代初期の総社城の城門を移設したもので、市の文化財。
また、天井画「八方睨みの龍」は日光東照宮の「鳴龍」」の元となったといわれている。
愛宕山古墳


全景
 
石塔
 
開口部

玄室

家型石棺

玄室壁面左

玄室壁面右

床綿

羨道部
愛宕山古墳

全長56m、高さ約8.5mの方墳で、7世紀前半の築造と考えられている。
これまでの前方後円墳が姿を消し、四角い方墳となった。
墳丘部は未調査で、三段築成で葺石で飾られていたと考えられる。
また、墳丘には埴輪が立てられていなかったとみられる。
石室は両袖型で、石室内には家型の石棺が残る。
二子山古墳
 
復元図
 

前方部

古墳入口



前方部から後円部

後円部墳頂


後円部から前方部
二子山古墳

総社古墳群の中で最大規模の大型前方後円墳。
現状の墳丘は全長90mを越える。未調査のため詳細な構造等は不明。
後円部径44m、高さ7m、前方部61m、高さ8m。
二段築成で葺石を葺き、墳丘全体に円筒埴輪が立てられていたとみられる。
石室は後円部、前方部の2か所に造られている。
元景寺

山門

鍾堂

本堂

扁額

聖観音像

地蔵尊

淀君供養塔

秋元氏墓地と思いきや?
元景寺1

気雲山春光院元景寺という曹洞宗のお寺。本尊は釈迦如来像。
天正18年(1590)総社城主・秋元長朝が父。景朝の菩提を弔うため、
自然玄悦禅師を招き開山した。秋元景朝夫妻の墓が残る。
秋元家は後に甲斐国谷村藩に移封したが、元景寺はこの地に留まった。
元景寺

秋元景朝墓地

秋元景朝墓


地蔵菩薩

薬師如来

羽階大権現

天満天神宮

水子地蔵尊
元景寺2

境内には秋元景朝夫妻の墓が残るほか、
前橋市最古とされる石仏の薬師如来や
浅間山爆発の被害者の供養塔、天狗岩用水開削を助けた天狗、羽階権現などが残る。
また、豊臣秀吉の側室・淀君の伝承が残る、淀君の墓がある。
前二子古墳(大室古墳群)



全景


後円部

前方部

開口部
前二子古墳1

全長94m、高さ14mの前方後円墳で、6世紀初頭に築造された。
2段築成で周堀、外提、外周濠を備える。
上段墳丘下部に葺石が敷かれていた。
石室は長さ13.8mの両袖式横穴式石室。
前二子古墳(大室古墳群)
 
開口部
 

石室全景

玄室

装飾器台ほか(復元)

羨道
前二子古墳2

明治11年に石室を調査し、土器、装身具、鏡、金メッキされた馬の飾り金具などが出土した。
床面には加工された凝灰岩が敷かれ、「べんがら」で赤く塗ってあった。
円筒埴輪は大室古墳群の中でも最も大きい。
土器では装飾器台や高坏型器台などが出土している。
小二子古墳

全景

後円部

後円部(横)

後円部(正面)


前方部より後円部

前方部

こならの大木
小二子古墳

全長38m、高さ5mの前方後円墳で、6世紀後半の築造。
小規模ながら2段築成で葺石はなく、周堀を持つ。
後二子古墳とかかわりが深い人物の墳墓と考えられている。
石室は全長1.8mの無袖型横穴式石室。
この古墳からは人物、馬、家、太刀など多くの形象埴輪が出土している。
後二子古墳


全景1

全景2

開口部

玄室

玄室壁面

玄室壁面左

玄室壁面右
 
天井石
 
羨道

墳頂から周溝 
 
内提

後円部から前方部 
 
前方部から後円部
後二子古墳

全長85m、高さ11mの前方後円墳で、6世紀後半に築造された。
葺石はなく、周堀を持つ。
石室は全長9.0mの石室は両袖型横穴式石室。
前庭部からは煮炊きの跡や土器がまとまって出土した・・・

 中二子古墳

外堀

内堀

外提

中提1

中提2

墳丘

中提3

中提4
中二子古墳1

大室古墳群中で最も大きな古墳。
全長111m、高さ15mの前方後円墳で、6世紀前半の築造。
内堀、中提、外堀を持ち、上下段墳丘と中提には葺石が見られた。
この古墳はまだ石室が見つかっておらず不明。
 
   中二子古墳


前方部(北側)11
 
前方部(北側)2
 
後円部(北側)1
 
後円部(北側)2
 
周溝(北側)1
 
周溝(北側)2
中二子古墳

内堀には工事や儀式の時に通った「わたり」があった。
復元された中提の上には、古墳を外敵から警護するため、
盾持人形埴輪と円筒埴輪が並べられて復元されている。
 
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