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慈恩寺 菅霊山自在院慈恩寺という真言宗智山派のお寺で、本尊は大日大聖不動明王。 寺伝によると、もとは栗崎村にあったが、弘治2年(1556)、本庄実忠が本庄城築造の際、 天神林に移されたといわれ、実忠を開基とします。 武州本庄七福神の銭洗弁財天を祀る。 |
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泉林寺 南陽山泉林寺という曹洞宗のお寺。 創建は慶長2年(1597)の歴史あるお寺。 武州七福神の健康と長寿をつかさどる「寿老人」が祀られている。 このほか境内には観音像や地蔵尊の石造物がある。 |
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愛宕神社(仲町) 旧開善寺境内の南東にある古墳上に祀られている。 祭神は火之迦具土命で、天手長男命、若宇迦能売命が合祀されている。 天正19年(1591)小笠原信嶺が勧請したといわれている。 社殿に至る石段のケヤキの巨木は神木とされていて、市の天然記念物になっている。 |
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安養院 若泉山無量寺安養院という曹洞宗のお寺で、本尊は阿弥陀三尊。 寺伝によると、創建は文明7年(1475)と言われている。 武蔵七党の児玉党の一族・本庄信明の弟・藤太郎雪茂が仏門に帰依し開基した。 慶安2年(1649)には徳川幕府より25石の御朱印を受けている。 山門は元禄15年(1702)、総門は享保元年(1716)、 本堂は寛政2年(1790)の再建で、それぞれ市の文化財になっている。 武州七福神の毘沙門天が祀られている。 |
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普寛霊場2 普寛は行者として、各地に登山道を開く。 中でも、木曽御嶽山、沼田の武尊山などが有名。 享和元年(1801)に本庄宿で亡くなり、当地に埋葬された。 本庄七福神の大黒尊天が祀られている。 |
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阿夫利天神社 社伝によると、寿永年間(1182〜5)に本庄太郎家長が当地に城を築いたとき、 厚く信仰していた相州大山の石尊大権現を勧請したのが始まり。 戦国時代には本庄宮内少輔も深く信仰したという。 大正2年に天神社など合祀し、阿夫利天神社と改称した。 若泉庚申霊場 普寛霊場の入口ある庚申霊場。 その昔、中山道・本庄宿の裏街道として発展した、 安養院の三叉路に祀られていたが、大正から昭和にかけて 学校の道路工事などで姿を見失っていたが、この庚申さんを発見ここに移してお祀りした。 |
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高尾山 当山の創立は明治27年で、本庄元講として、 真言宗智山派大本山高尾山薬王院有喜寺分身を奉遷したことに始まる。 以前は仏母寺で行っていたが、大正15年改めて奉遷した。 本尊は背丈1.63mの飯縄大権現。 |
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仏母寺 もと金鑚山威徳院白蓮寺という寺で、天授元年(1375)の創立と伝えられている。 中興開山は高野山聖僧威徳坊玄正であるといわれているが、 度重なる火災で、明治期には廃寺となった。 明治17年檀信徒の発願により再興、 高野山真言宗準別格本山龍蓋山仏母寺と改称した。 現在、白蓮寺の建物としては金鑚神社境内に大門が残るのみで、市の文化財になっている。 |
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1.金鑚神社 2.児玉2 3.川本 4.深谷1 5.岡部1 6.岡部2 7.本庄早稲田 8.本庄2 9.本庄3 10. | |||||||||||||||||
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