栃木県歴史散歩
矢板2
沢観音寺


慈母観音菩薩

七福神1

七福神2


石段

山門
沢観音寺1

補陀落山千手院観音寺という真言宗智山派のお寺。
創建は寺伝によると天長2年(825)に宥印により開山された。
永享3年(1431)、沢城跡を那須氏より寄進され現在地に移転。
中世には那須地方を中心に120余寺の末寺があった。
沢観音寺2

手水

鍾堂

本堂

扁額

観音堂

観音堂扁額

千手観音像 
 
沢観音寺

下野三十三観音の8番札所で、
本尊・千手観音像は県の文化財で、千手千眼堂の厨子の中に安置されている。
境内には金色に輝く大慈母沢観音が立つ。
また、桜の季節には八重桜が色を添える。
沢観音寺




地蔵菩薩

仁王石造(吽形)

仁王石造(阿形)

入口

彼岸花
沢観音寺3

沢観音寺は那須一族の沢村氏の居城跡地に建つ。
築城は那須与一の兄にあたる、那須満隆が築いた。
応永21年(1414)、八代・沢村五郎の時、本家那須氏によってこの地を追われた。
奥の細道で芭蕉と曽良が立ち寄り、曽良が句を残している。
長興寺

そば畑

石仏石碑

六地蔵尊

山門

地蔵の小道





長興寺1

塩谷山天竜院長興寺という曹洞宗のお寺。
開基は川崎城主・塩谷朝業(宇都宮業綱の次男)で、
川崎城主塩谷氏の菩提寺。
境内には円通閣や塩谷氏の墓所が残る。
長興寺

本堂


円通閣


塩谷家之墓


鍾堂
長興寺2

塩谷朝業は鎌倉幕府の御家人で、三代将軍・源実朝に仕えた。
源実朝とは和歌を通して、主従の間柄として親しかったという。
吾妻鏡には
うれしさも匂いも 袖に余りけり 我が為 おれる梅の初花
という句が残る。
星宮神社

鳥居


拝殿

内陣

境内社
星宮神社(館ノ川)

川崎城址の東北に立つ。
創建そのほかは不詳で、主祭神は経津主命、磐裂命、根裂命を祀る。
星宮神社は栃木県に多く、磐裂命、根裂命は栃木県の土着神で、
本地仏を虚空蔵菩薩としていて、日光修験道と関係が深いとされている。
川崎城跡
 
略図
 
 
一ノ堀跡

主郭部入口

主郭部



二ノ曲輪跡 
 

南曲輪跡 
川崎城跡

平安時代末期から戦国時代にかけて、塩谷地方北西部を支配した塩谷氏の居城跡。
山城で、正治建仁年間(1199〜1203)頃の築城とされている。
築城者は宇都宮業綱の次男・塩谷朝業とされている。
城の規模は南北1500m、東西340mという。
現在も本丸、二の丸、三の丸など主郭部が残る。
龍泉寺


新薬師堂
   

龍泉寺山門

観音菩薩

地蔵菩薩

本堂

扁額

内陣

本尊 
 
客殿
龍泉寺

大雲山龍泉寺という浄土宗のお寺。
開宗は承安5年(1175)と伝わる。
本尊は阿弥陀如来。
門前の新薬師堂の薬師如来立像ともども市の文化財になっている。
専慶寺

山門


石仏

石灯籠

地蔵尊

千体地蔵尊

本堂

扁額

本尊
専慶寺

馬頭山慈眼院専慶寺という浄土宗のお寺。
本尊は阿弥陀如来。
境内には子育延命息災を祈願して千体地蔵尊がある。
木幡神社との関係ありかと思い立ち寄ったが不明・・・
木幡神社

鳥居

出羽三山


楼門


鉄灯籠

拝殿

狛犬2

狛犬1

扁額

献額
木幡神社1

創建は延暦14年(795)、征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷征伐の戦勝を祈願して、
山城国宇治郡の許波多神社を勧請した。
祭神は正哉吾勝速天忍穂耳命(天照大神の子)を祀る。
平安時代には藤原秀郷が、鎌倉時代には源頼義、義家親子が祈願している。
中世には塩谷氏の氏神として、塩谷惣社大明神として尊ばれた。
江戸時代には日光二荒山を合祀し、御朱印200石を寄進された。
 木幡神社

本殿

神木

境内社

稲荷社

神輿倉

神輿
木幡神社2

楼門、本殿は室町時代の建立で、栃木県最古の神社建築として国の重要文化財になっている。
このほか境内には文化財が多く残っている。
拝殿は江戸時代に再建され、奉納の和算扁額や奉納絵馬などが見もの。
境内は鬱蒼とした森に囲まれ、静かなたたずまいを見せている。
 
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