霊厳夜話
 
 

第61話 道灌山の事
  1、問 本郷駒込の外れに、道灌山という所がある。
         是は、太田道灌((注釈))が江戸の城を建築した時の、山荘の跡であったのだろうか。
  1、答 筆者は、その様に心得ていたが、江戸大絵図が出来て、献上する前になって
         自分達が拝見していたら、岩城伊予守((注釈))殿も来られ、江戸城の噂をしていた。
         伊予(いよ)(のかみ)殿が、久島伝兵衛に申されるには
         「本郷の外れに、道灌山というのが有るが、太田道灌の屋敷の跡でもあった
         のだろうか。」と尋ねられたのを、安房(あは)(のかみ)殿が(そば)で聞かれて、申されるには
         「あの道灌山と申すのは、関の道灌と申した者が居た、跡屋敷で、太田道灌
         とは違う。」と申したので、その子細を聞きたいと言ったけれど、伊予(いよ)(のかみ)殿
         安房(あは)(のかみ)殿が対談した時の事なので、その場は過ぎてしまった。
         三十年程前に、筆者が用事が出来て、この辺りに参った事があり、その時
         在所の年取った者に出合って聞いたら、関の道灌という名に違い無いとの
         事であった。
  (注釈)
     岩城伊予(いよ)(のかみ)重隆    亀田(岩城)二代目藩主。 秋田県由利本庄市。
                      高田番所の加番代。    1628〜1707年。

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