霊厳夜話
 
 

第64話 御治世の事
  1、問 大昔に治った時代というのは、当世の様に治った代を指していったのであろ
         うか。そなたは如何聞かれているか。
  1、答 筆者が文盲であれば、異国については、全然分からない。
      我が国といっても、昔の事は分からないけれど、大将・源頼朝公が初めて
      天下の権を取られた後、鎌倉将軍家その後、足利尊氏公から京都代々の公方家
         以来の事は、仮名書(かながき)の本にも記録されているので、大筋は見た記憶がある。
      頼朝公・尊氏公・織田信長公・豊臣秀吉公など、何れも草分けの大功を立て
         られ、一度、天下の権を取られたといへども、草分けの初まりに守成((注釈))の後を
         兼ねるという、大切な所への、心付けをなされるがために、繁栄を子孫へ、
         くまなく、世を保つ事を得られるかどうかである。
         その中で、京都将軍家は、元祖尊氏公から十三代と言えば、久しい治世の
         ように聞へたけれど、今の代のように、天下統一の世というのではなく、
         世代が続いたという迄の事で、あったのだろうか。
         權現様は1600年(慶長5年)の年始めに天下を手に入れて以降、代々
         続いて、天下統一の平穏は、百三十年に及んだ。
         異国は知らず、我が国では、前代未聞な御治世である。
         それなので、如何となれば權現様は、先の四大将の所行(しょぎょう)を前者の戒しめと
         思って、天下草分けの初めから、守成の後の勘弁を専一とされた。
         関ヶ原の戦いを勝利されて以降、譜代・外様の諸大名方へは、夫々に加増
         して、国替・所替などを仰付けたけれど、御自身は将軍宣下の祝儀も引
         延ばされ、時々御鷹野をされる他は、万事を差置いて公家・武家・寺社
         などの法城((注釈))、並びに万民安堵の政務を、(おのれ)にまごころを尽くされた。
         その御威風が、今に伝ったのを以っての、御治世であれば、これ以後の
         精励((注釈))は限りが無いであろう
         しかし、治世を頼んで安楽の思いで住み、帯剣((注釈))を解き、枕を泰山((注釈))(やす)きに
         置いて、ここで自然と武備に怠り武士道の本意を忍ぶ様に成行くものである。
         法は上より立ってこそ、昔から、言い伝えられている様に、農・工・商の
         三民の長である武士という、士である道に間違うようで有れば、その下に
         随う三民の一族としても、その作法を受け入れなくてはならない。
         是を治世の(わずら)いと言う事である。
         願わくは、天下の武士・貴賤上下を限らずおごる心を押へ質朴を旨として
         無用の出費を惜しみ武備に怠りなく武士道の正義・正法に研さんする事。
         霊厳夜話       巻之十終。
              干時    享保12年  丁未   孟春吉祥。
             東武隠士。

               知足軒友山 八十九歳。
                             綴之。
  (注釈)
     守成(しゅせい)   草分けの後をつぎ、その業を固め守ること。
     法城   仏法が堅固で信頼すべく、また諸悪を防ぐことを城にたとえること。
     精励   力を盡くしてはげむこと。
     帯剣   帯刀。
     泰山   中国の名山のように高くして(安心して)。

第10巻64話