霊厳夜話
 
 

第12話 御入国の時、江戸にて博奕の事
   1、問 御入国された時、江戸で博奕(とばく)流行(はや)っていたが、是と共に、お仕置きをして、
         早速、()めさせたという事を、如何(いかが)聞かれているか
   1、答 その事を、筆者が若年の頃、聞いているのは、權現様が浜松・駿府におられた
         時も、博奕(とばく)は諸悪の根元とあって、御意(ぎょい)で城下の事は言う迄もなく、わが国の
         領内を固めて置く、御法度(ごはっと)に仰出られた。
         関東へ御入国された時、江戸はもとより、関八州共に、北条家の締まりのない
         処罰の後の事であれば、僧俗男女の区別もなく、張って博奕(とばく)を打ったのを聞か
         れて、板倉四郎に仰付け、その時には、盗賊も多かったので、その盗人(ぬすっと)達を
         牢屋に入れたけれど博奕(とばく)をした者達を、少しも許しなく(とら)へ、次第片端(かたっぱ)しか
         ら、成敗(せいばい)を仰付けた。
         その時、浅草辺りでは、博奕(とばく)を打ってた者を五人(とら)へ、その者たちを、その所
         に獄門に掛かっていたのを、お鷹野に出掛けられた時ご覧になり、帰られた後
         博奕(とばく)の吟味に関わった者を、御城へ呼び、仰渡した
         「すべて罪人を御仕置に申付け、その首を、獄門に(さら)して置いたのは、(もろびと)
         見せしめのためとあって、五人・一座の博奕(とばく)打ちは、何時、如何なる所でこの
         事をしたという事を、札に書き記し、その所に限らず、如何なる所でも、人の
         多い場所へ遣わし、(さら)すように。」と仰付けた。
         その心得は、十人、一座で(とら)へれば十ヶ所に遣わして、御仕置に申付け首を
         その所に掛けて置いたので、二、三年の間にはすきっと止まった。
         その博奕(とばく)の御仕置の事は、浅野因幡守長治殿が、筆者の養父・北条安房(あは)(のかみ)氏長
         殿に、申付けているので、小木曽太兵衛に、尋ねるようにとの事で、太兵衛の
      申す通りを口上書に認め、差出した事を、特に良く覚へている。

         その後、嶋田弾正殿が町奉行の時も、博奕(とばく)の事は厳しく申付けた処、(とばく)
         訴人がいて同心達を行かせ、六・七人も捕へて来た中に、年の頃、五十位い
         に見へた坊主がいた。弾正殿が、その坊主に問うたのは
         「その方は、頭を丸め、博奕(とばく)をしたのは、(なお)(さら)不届(ふとどき)な事である。
      元来は、医者か出家か、何者である。」

         と尋ねたら、例の坊主が申すには
         「私儀は、医者でも出家でも無い。
         自分の親は、忍城主・成田殿方に、連歌の収束役((注釈))を務めていた者である。
         成田殿が果てた後、親も浪人で果て、私も浪人に成り渡世の方法がなかった
         ので博奕(とばく)の仲間に入り、湯番として湯茶を持運ぶ役で、食事をさせてもらって
      世を送っていた。」と言った

         弾正殿が、博奕(とばく)というものは、如何様にするのかも分からないので、(とばく)仲間
         へ尋ねたら
         「坊主のいう事には、間違いない。」との事で、坊主に
         「その方は、連歌師の子に()(あかし)ならば、定めて連歌をするであろう、一句詠む
         様ように。」と言った。
         坊主が承り、折から、霜月(しもつき)の事であるので「朝顔や、またときやらぬ、(なわて)(みち)
         と詠んだら、弾正殿が聞かれて、この発句に対して、縄を解いて許し
         「今後は博奕(とばく)の座に交わる事を止め、どうしても、食べ物が無いならば、町年
         寄達へ回り、何でも貰う様に。」
         と申し渡したので、その後は、方々へ徘徊し、心安く渡世をした。
  (注釈)
     収束役(しゅうそくやく)    おさまりをつけること

第2巻12話