霊厳夜話
 
 

第7話 増上寺・浅草寺の事

1、問 江戸表で、三緑山増上寺((注釈))菩提((注釈))金龍山浅草寺((注釈))祈願所((注釈))と仰出れたのは、
     御入国後の事であるというのは、その通りであろうか。
  1、答 この事について種々な理由を、言われてると聞いている。
        筆者が聞いている趣は、權現様が御入国された時は、1590年(天正18年)
     8月上旬というのは違いないが、北条家を攻絶し、その跡を拝領したというのは、
     以前から決っていた事でもあったのだろうか。

       權現様が小田原表へ着陣された後、江戸表で祈願所(きがんじょ)にもなされる様な、天台宗
     の寺と、菩提所(ぼだいじょ)にもなされる様な、浄土宗の寺を、建立する様にとの、吟味を
     仰出になった。
     その時、浄土宗にそのような寺は増上寺(ぞうじょうじ)・伝通院という二ヶ寺が有り、その内
     の伝通院は、古跡ではあるが、その所から一向宗の在所であった。  
     
増上寺(ぞうじょうじ)は前は海、後ろは山を(かか)へ、(こと)(ほか)景地でも有り、その上、江戸の城へ
     も程近くに有り、祈願所(きがんじょ)は、浅草(せんそうじ)観音堂より他に、適当な天台宗の寺は無い
     との事であった。
     それならばというので、増上寺(ぞうじょうじ)方丈と、浅草寺(せんそうじ)観音院を、小田原の御陣所へ
     呼んで、御目見得を仰付け両寺で、境内(けいだい)乱妨禁制の書付けを下された。
     御筆衆から、その書付けを認め差上げれば、ご覧なされて
       浅草寺(せんそうじ)へ遣わす書付けは卯月日を認める様に。」と仰出られたら、祐筆衆((注釈))から
       「すべて、この様な書付けは、月の異名を書かない法である。」
       と申上げたら、仰出るには
     「増上寺(ぞうじょうじ)菩提所(ぼだいじょ)であれば四月日と認め、浅草寺(せんそうじ)祈願所(きがんじょ)なので、異名でも
        差支へないので、卯月日と認める様に。」と仰しゃった。
     かなり前なので、実・不実の事は知らない。その時、観音は古跡とは言いな
        がら形だけで、不繁昌であった。
        寺中の坊主達も、古来から三十六坊と言い伝えられているが、その内十坊
        だけが清僧((注釈))で、残りの坊中は、すべて((注釈))同様の妻帯坊主達で有り、公
        祈祷所(きとうじょ)には不都合であるといわれたが、何のお構へも無かった
        その時、正・五・九月には定った城中で大般若((注釈))転読の祈祷が有り、その時は
        言う迄もない。
        その他「公儀の祈祷は、観音堂へ出勤の時にも、清僧だけ出て勤める様に。」
        と仰付けられたので、妻帯坊主達は自から寺中の徘徊が出来なくなったので、
        我が子を清僧に仕立てるか、弟子を清僧に仕立て、寺を譲り、身は寺内へ
        隠居所を構えて引込む様であったので、清僧だけとなった。
  (注釈)
     増上寺(ぞうじょうじ)   東京都港区芝公園にある浄土宗の大本山。
     菩提所(ぼだいじょ)   死後を冥福する所。
     浅草寺(せんそうじ)   東京都台東区浅草(あさくさ)にある聖観音宗の寺。
     祈願所(きがんじょ)   神仏を祈る所。 祈祷所(きとうじょ)
     北条家(ほうじょうけ)   本姓は(たいら)。 後北条(あとほうじょう)氏はもと伊勢姓。 氏綱の代に北条姓を称した
     祐筆衆(ゆうひつしゅう)    文筆に長じた人
     清僧(せいそう)    品行の正しい僧。
     山伏(やまぶし)    仏道修業のため、山野に起臥(きふせ)する僧
     大般若(だいはんにゃ)   経を転読して徐災・招福・護国を祈る。



     浅草寺仁王門     第二次世界大戦で消失。
                   下は消失前。現在は再建されて宝蔵門。 

第2巻7話