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お富士山古墳1 墳丘長125m、前方部、幅83.2m、高さ5.5m、後円部、径77.2m、高さ9.5mの前方後円墳。 5世紀前半の築造と言われ、市の文化財になっている。 3段築成で、葺石が敷かれ、大型円筒埴輪の配列が確認され、周濠が巡る。 後円部の墳頂に富士神社が建つ。 |
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お富士山古墳2 富士神社のそばには砂岩製の縄掛け突起を持つ長持型石棺がある。 長持型石棺は5世紀の畿内の大型前方後円墳にみられ、 県内では太田市の天神山古墳とこの古墳のみ。 畿内の石棺と共通点が多く、畿内の工人が製作したものと思われる。 |
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華蔵寺1 丘林山浄土院華蔵寺という天台宗のお寺。本尊は釈迦牟尼仏(伝運慶作) 貞観14年(872)玉体安穏の発願により、鎮護国家の道場として、 円珍上人が東国巡錫の時、この地を選び伽藍を創建。 末寺15ヶ寺を有する古刹大寺であった。 |
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華蔵寺2 その後、荒廃し、文治年間(1185〜90)世良田山良楽寺の栄朝を中興として再建。 寛永時代(1624〜44)には天心祐淳により再興され、幕府より寺領13石を安堵された。 境内には本尊をはじめ文化財が多く、前庭の金木犀は樹齢400年で、国の天然記念物になっている。 伊勢崎英霊殿 華厳寺横に大きな鳥居が建つ。 さぞかし大きな神社が或るものと立ち寄ったが、 関川勝三郎先生の像が建つのみ。 その近くに伊勢崎招魂碑が建つ。 明治10年(1877)、西南の役で戦死した伊勢崎関係者の霊を祀る・・・ |
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雷電神社古墳1 伊与久雷電神社は古墳の上に建つ神社で、「雷電さま」として親しまれている。 伝説によると御神木に雷が落ち、中から黄金像が現れ、悪疫災難を払ったと伝えられている。 鎌倉時代の建保3年(1215)、三浦之介義澄が山城国加茂大明神を勧請したと伝えられている。 |
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雷電神社古墳2 元弘3年(1333)には新田義貞が鎌倉幕府征伐に際して、 社殿を修理して戦勝祈願を行っている。 江戸時代には伊勢崎藩により修繕などが行われた。 社殿の彫物が素晴らしい・・・ |
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雷電神社古墳3 雷電神社古墳は全長50mの前方後円墳と考えられるが、 現在は直径28mで正確な墳形等は不明。墳頂には雷電神社が建つ。 本殿直下に横穴式石室がある。 石室内部は攪乱が多く、玄室上部は積直されている。 |
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圓勝寺 正久山観音院円照寺という天台宗のお寺。 本尊千手観音菩薩は伊勢崎佐波観音霊場第25番札所。 古くは雷電神社の別当寺であった・・・ |
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鶴巻古墳 直径34mで、西に造り出し部があり、2段築成で周堀を備える。 墳丘には円筒埴輪が80p間隔で配列されていた。 横穴式石室は榛名山二つ岳の噴火による角閃安山岩と凝灰質砂岩を使用している。 石室からは刀子、金銅製耳環、馬具などが出土した。 |
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群馬県古墳巡り | |||||||||||||||||
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