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朝子塚古墳 墳丘長125.5m,後円部径約62m、高さ12m、前方部幅約48m、高さ7m。 前方後円墳で築造は4世紀末〜5世紀初頭の頃と推定されている。 後円部に比べると、前方部が極めて低く、周堀が巡る古い古墳の特徴をよく残している。 墳頂部には雷電神社が建つ。 |
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圓福寺 御室山金剛院円福寺という真言宗智山派のお寺。本尊は不動明王。 新田氏4代目・新田政義が鎌倉時代に創建したと伝えられている。 開山は京都御室の仁和寺から招いた阿闍梨・静毫。 本堂には新田氏4代〜7代の位牌が安置されている。 |
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伝新田氏累代の墓 円福寺の境内には新田氏累代の墓と伝えられる20基余の墓が残る。 石層塔、五輪塔などの石塔の中に、 元亨4年(1324)「沙弥道義」(新田義貞の祖父)と記されている。 |
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十二所神社 茶臼山古墳の後円部墳頂近くに十二所神社が建つ。 創建された時代は不明だが、中には全部で16体の神像が安置されている。 そのうちの5体に鎌倉時代の正元元年(1259)の銘が残る。 平安時代には神仏習合が進み、神殿に仏を安置した。 |
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茶臼山古墳 円福寺本堂西側には茶臼山古墳という前方後円墳がある。 墳丘全長約168m、後円部径96m、高さ14m、前方部幅42m(現存)、高さ9m。 墳丘は原型を損ねているが、県内では天神山古墳に次いで3番目に大きい。 2段築成で、葺石が認められ、周堀も巡らされていた。 築造は5世紀前半と考えられている。 円福寺、十二所神社、伝新田氏累代墓、茶臼山古墳は 平成2年(2009)にまとめて新田荘遺跡として一括して国の史跡に指定された。 |
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天神山古墳1 天神山古墳は別名男体山古墳とも呼ばれている。 墳丘長210m、後円部径120m、高さ16.5m、前方部長さ126m、高さ12m。 東日本では最大規模を誇る大前方後円墳。(国指定) 円筒埴輪のほか家、楯、鶏や水鳥などの形象埴輪が出土している。 |
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天神山古墳2 二重の堀が巡り、付属する陪塚も造られている。 築造は埴輪などの特徴から5世紀前半と推定される。 江戸時代には大型の長持型石棺が発見されている。 これらのことから、この古墳に埋葬されている人物は 畿内大和政権と強いつながりを持った毛野国の大首長とされている。 |
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女体山古墳 墳丘長106m、墳丘部84m、高さ7m、造りだし部幅18m、長さ16mの帆立貝型古墳。 帆立貝型古墳としては全国で第3位で、関東では最大を誇る。 隣接する男体山古墳に対して女体山古墳と呼ばれている。 主体部は竪穴式と推定され、円筒埴輪や形象埴輪が出土している。 築造は5世紀前半で、天神山古墳より少し古いと考えられている。 天神山古墳と女体山古墳は同一時期、同一方向を向いており、 埋葬されている人物は密接な関係にあるとされている。 |
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賀茂神社(龍舞町) 創建は貞観3年(861)藤原長良公が 京都の賀茂神社分霊を勧請して創建された。 祭神は別雷命で、末社二十四社を数える。 |
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賀茂神社(龍舞町)2 龍舞町の賀茂神社では毎年春の例大祭には「萬燈祭」が行われる。 天保8年(1837)、京都で奉納されていた萬燈をこの地でも奉納したことに始まる。 龍前町では十数基の萬燈を賀茂神社に奉納し、町内を担ぎ振り回す。 (県指定重要無形民俗文化財) |
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群馬県古墳巡り | |||||||||||||||||
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