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光明寺1 無量寺山光明寺という真言宗高野山派のお寺。 境内などはよく整備されているが、創建などは不詳。 |
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光明寺2 無量寺山光明寺という真言宗高野山派のお寺。 境内などはよく整備されているが、創建などは不詳。 |
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日本煉瓦資料館1 日本煉瓦資料館(旧事務所)は明治20年の建築。 木造平屋建、寄棟造、瓦葺、外壁板張り、煉瓦積基礎。 内部は天井と壁は漆喰塗、天井は円形唐草模様造、床は総板張り。 外観の珍しさから、地元の人たちから異人館と呼ばれた。(重要文化財) |
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日本煉瓦資料館2 旧事務所はそのまま資料館になっている。 第一展示室は会社設立からの歴史がわかる展示室になっている。 会社設立には渋沢栄一ら5人の名がみえる。 諸井恒平もその中の一人・・・ |
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日本煉瓦資料館3 第二展示室では日本煉瓦製造株式会社で焼かれた煉瓦や 煉瓦造りのための道具、専用鉄道関係の資料が展示されている。 資料館裏手には旧変電所(重要文化財)がある。 又、事務所裏側には煉瓦で作った基礎積みが見られる。 |
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泉光寺1 寛平山泉光寺という真言宗高野山派のお寺。 深谷七福神の恵比寿天を祀る。 恵比寿天は家内?栄、商売繁盛などの福の神。 |
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泉光寺2 寛平山泉光寺という真言宗高野山派のお寺。 深谷七福神の恵比寿天を祀る。 恵比寿天は家内?栄、商売繁盛などの福の神。 |
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弥勒院 熊野山弥勒院良光寺という真言宗智山派のお寺。本尊は地蔵菩薩。 創建は不詳ながら、領主松平丹波守康長が慶長7年(1602)に 当地から古河へ所替えとなった際、寺号、住職ともに古河に移ったものの当寺はそのまま存続した。 熊野大神社の別当寺を務めていた。 |
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熊野大神社1 祭神は伊弉諾命、伊弉冉命、速玉男尊、事解男尊を祀る。 創建等は不明ながら、当地は古くより拓け、延長5年(927)、この地に 枇杷の木を棟木として小祠を建て創建したと伝えている。 延喜式神名帳に記載されている「白髭神社」ではないかとする説もある・・・ |
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熊野大神社2 戦国時代の天文年間(1532〜55)、深谷上杉三宿老、皿沼城主・岡谷加賀守清茂が深く崇拝した。 天正18年(1590)、徳川家康が江戸入場後、松平丹波守康長が東方城主となり崇拝した。 明治42年に地内5社を合祀した。 境内には多くの境内社が建つ。 |
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木の本古墳群 原郷、東方地内の福川南岸地帯には幡羅十八塚と呼ばれる古墳群があり、 木の本古墳群と呼ばれている。 これらの古墳群はほとんどが古墳時代後期(6〜7世紀)の直径20m前後の円墳であるが、 最近の調査では40m級の大きさのものもあったといわれている。 第1号墳は保存状態もよく、その代表的なものである。 第3号墳は直径20m、高さ3.8mで7世紀前半の築造とみられる。 |
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