イモでも何でも良かったんです!
1969年にドン・ブリューワー(Ds)、マーク・ファーナー(Vo・G)、メル・サッチャー(B)、の3人のメンバーでデビュー。デビューアルバム『グランド・ファンク・レイルロード登場!』は、いまやロックのスタンダードとなっている『ハートブレイカー』を収録し、ハードロック系のビッグバンドのほとんどがイギリスのバンドだった頃に、アメリカン・ハードロックを代表するバンドとして人気がありました。1972年から、クレイグ・フロスト(Key)を迎えて4人編成となり、バンド名をグランド・ファンクに変更。ブルース色の強いハードロックから、アメリカ的なポップセンスをハードロックに融合させ、『アメリカン・バンド』などのヒット曲も生まれ、日本でも人気がありました。1976年に一時バンドは解散しますが、その後、解散、再結成を繰り返し、マーク・ファーナー以外のメンバーは、今でもライブ活動を続けているようです。
アメリカン・ハードロックの先駆的な存在ですが、音楽評論化には酷評され、イモバンドを言われて、ダサいバンドと評価されていましたが、これは、ステージ衣装や、ステージパフォーマンスがサーカスもどきで、バカにされやすい要素があったからかもしれません。また、ギタリストとしてのマーク・ファーナーの技量は、ハードロック系ギタリストの中では評価が低く、スーパーギタリストの存在が人気を左右するハードロック界では立場が悪かったからかもしれません。しかし、不器用なギタリストの最大の持ち味は、シンプルで印象的なリフやフレーズを作れる事であり、マーク・ファーナーのギターフレーズにも、一度聴いたら忘れられないフレーズが多く、ロックファンに強い印象を残したのは間違いありません。また、リズムセクションを中心に、特にステージでの楽曲のアレンジは、ツボを抑えた秀逸なアレンジが多く、アメリカらしいスケールの大きさ、開放感を感じさせる楽曲は、後のアメリカのハードロック・バンドに大きな影響を与えていると思います。
日本でもデビュー直後から人気のあるバンドで、1971年に暴風雨の中で行なわれた後楽園球場でコンサートは、伝説的なコンサートとして知られ、有名な音楽評論家である渋谷陽一先生も、このコンサートで、名曲『ハートブレイカー』を合唱したと告白しています。その昔、ロック系ラジオ番組の当初で、『イモでも何でも、あのコンサートは良かったんです!』、という葉書を紹介していたのを思い出します。ルックスも、ステージングもダサいかもしれませんが、ロック魂を感じさせてくれる存在感のあるバンドだったという事を、ラジオで紹介された投書からも十分に感じられたのを覚えています。