ギターの神様
少年期のエリック・クラプトンはB・B・キング、バディ・ガイ、マディ・ウォーターズなどのブルースに夢中になり、ギターをはじめるが、まったく上達せず、1年半で挫折してしまいます。16歳でアートスクールに進学しますが、ライブハウス通いに夢中になり学業をおろそかにした為、17歳でアートスクールを退学になってしまいます。アートスクールを退学させられた事に大きなショックを受けますが、その後、ロバート・ジョンソンの音楽と出会い、一度挫折したギターの道にチャレンジする事になります。昼間はレンガ積の仕事をし、夜はギターの猛練習を続けるようになります。ライブハウスに入り浸っていた時に知り合ったのがジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、スティーブ・ウィンウッド、ピート・タウンジェント(ザ・フー)などで、みなさんご存知のように、後々まで親交が続くことになります。
18歳でヤードバーズに参加、エリック・クラプトンの絶大な人気もありヤードバーズは徐々に人気が出てきますが、まだ大ヒットシングルがなかった為、エリック・クラプトン以外のヤードバーズのメンバーは、ポップなメロディの「フォー・ユア・ラブ」のレコーディングを決定。エリック・クラプトンは、大衆向けの音楽をプレイする事に反対しヤードバーズを脱退してしまいます。
ヤードバーズ脱退後、1ヶ月もしないうちにジョン・メイオールに誘われ、ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズに参加。ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズ・ウィズ・エリック・クラプトンを発表しますが、ブルースをベースにしながら、自分の芸術センスを表現できるバンドを求めて、ジンジャー・ベイカー、ジャック・ブルースと伝説のバンド、クリームを結成。史上最強のトリオとされるクリームは、ジャック・ブルースのクラッシック、ジャズの知識や経験により、ブルースを基本にしながらも、幅広い音楽性を持ったハードロックバンドとして、その後に音楽シーンに多大な影響を与えることになります。「客の事なんか考えたことないね」とジャック・ブルースが語るように、観客を無視するかのように自由奔放に演奏するクリームをローリング・ストーン誌が酷評し、その記事にショックを受けたエリック・クラプトンは、クリームを解散させてしまいます。
クリーム解散後、旧友スティーブ・ウィンウッド、ジンジャー・ベイカーとブラインド・フェイスを結成するが、アルバムを1枚発表しただけで、すぐに解散。アメリカの音楽に強く惹かれていたエリック・クラプトンはデラニー&ボニーのツアーに参加した後、そのバンドのメンバーを引き抜いてデレク&ザ・ドミノスを結成、伝説的な名盤「レイラ」を発表します。デレク・アンド・ザ・ドミノスもアルバム1枚、ライブ盤1枚のみで解散しますが、この時の音楽性が、その後のエリック・クラプトンの音楽性を決定付けます。ソロ・アーティストとしてのキャリアをスタートさせてからは、ボブ・マーリィのレゲエサウンドに衝撃を受け、「アイ・ショット・ザ・シェリフ」をカバー、大胆にレゲエを取り入れたアルバムを発表したり、映画「リーサル・ウェポン」の音楽を手がけるなどと常に新しい試みを続けています。ドラッグ中毒、アルコール依存症、胃潰瘍などで度々命を失いかけ、パティとの離婚などもあり私生活は波乱万丈、1991年、息子のコナーが高層マンションの窓から転落し死亡するという悲劇に見舞われました。
ロニー・レーンの為にアームズコンサートに参加したり、クロスロードコンサートを主催し、1997年クロスロードリカバリーセンターをオープンさせたりと、慈善活動にも積極的に参加しています。すでに、ロックの殿堂入りを3回果たし、2000年B・B・キングとレコーディング、2004年ロバート・ジョンソンに捧げるアルバムを発表するなど、やっと公私ともに充実した人生を歩めるようになったようです。
ヤードバーズ時代の同僚のインタビューによると、若き日のエリック・クラプトンは、生意気で手に負えないヤツだったという評判もあります。ローリングストーン誌のライブ評で酷評されたエリック・クラプトンは、自分の高飛車な態度を指摘され、かなりのショックを受けたようです。これが転機となり、レイドバックと言われるサウンドへと変化して行く事になり、音楽への取り組みだけではなく、人間的にも転換期となったようです。
ライバルであり、親友だったジミ・ヘンドリックス、デュアン・オールマンの早すぎる死、さらに息子コナーの死など、いつも取り残されてしまうエリック・クラプトン。これほどの悲劇に苦しみながらも、黒人ブルースマンには、いまだにブルースギタリストとしては認められていません。エリック・クラプトンについて、B・B・キングは「彼はナンバーワンのロックギタリストだと思います」と答えています。これは、ロックギタリストとしては一流だけど、まだ、ブルースギタリストではないと評しているよう聞こえます。クロスロードコンサートで、B・B・キングをはじめとする大物ブルースギタリストと共演した映像でも、エリック・クラプトンが、子供に見えるほど黒人ブルースマンには風格があり、ブルースギタリストの存在感に圧倒されます。技術的には、決して引けを取らないのに、エリック・クラプトンは、まだブルースを極められないようです。これからもブルースへの探求は続いていくんだと思います。