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塚回り古墳群第4号古墳 太田市東部の水田地帯に発見された古墳群。 第4号古墳は長さ22.5mの帆立貝型古墳。 埴輪の特徴等から6世紀前半の築造と推定されている。 在地首長層の墓と考えられている。(国指定) |
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稲荷山古墳(市場町) かつては渡良瀬川の旧流路である矢場川の右岸に立地する。 直径32m、高さ4mの円墳。墳頂に稲荷神社が建つ。 墳丘には石が葺かれ。円筒埴輪のほか馬型埴輪などが立てられていた。 築造は6世紀中頃と推定される。 |
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巌穴山古墳 一辺31.5m(現存30m)の方墳。 幅7mの堀があるが、葺石や埴輪は確認されていない。 墳丘南側に横穴式石室の開口部がある。 築造は7世紀中頃と考えられ、終末期の方墳としては市内に残る唯一の方墳。 |
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寺山古墳 発掘調査は行われていず、詳細は不明ながら、全長約60mの前方後円墳と見られる。 後円部33m、高さ6m、前方部幅23m、高さ4m。 太田市内における最古の古墳として知られている。 築造は4世紀の築造で、築造当初の形状をとどめる唯一の首長の墓。 |
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二ツ山古墳(2号墳) 1号墳に隣接して2号墳がある。全長45mの前方後円墳。 後円部径約32m、高さ6m、前方部幅約22m、高さ3m。 後円部に横穴式石室があり、2段築成で葺石、埴輪、周堀を備える。 築造年代は明らかでないが、1号墳と同じ6世紀後半前後とみられる。 |
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二ツ山古墳(1号墳) 全長74m、高さ6mで、2段築成の前方後円墳。 周堀の跡が見られ、主体部は割石乱石積の無袖型横穴式石室。 石室からは金銅製双龍文の環頭太刀把頭、墳丘からは人物、鳥等の形象埴輪が出土している。 築造は6世紀後半と見られている。 |
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鶴山古墳 後円部径約54m、高さ8,前方部幅約54m、高さ3.5m、全長102mに前方後円墳。 周堀は確認されているが、葺石、埴輪は確認されていない。 甲冑、剣、太刀など鉄製品や石製模造品は出土しているが、 装飾具や玉類、埴輪は全く出土していない。 築造は5世紀後半頃と推定されている。 |
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菅原神社(亀山古墳) 御祭神・菅原道真公を祀る菅原神社(鳥山上町)の背後に亀山古墳がある。 全長58mの前方後円墳(?)、埴輪片の特徴から築造は5世紀後半頃と推定されている。 後円部は径31m、高さ9mの2段築成で、前方部は高さ3mの幅の狭い台状になっている。 主体部は竪穴式で葺石には川原石を使い、盾形の周堀を持つ。 |
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西山古墳1 薮塚温泉の入口にある前方後円墳。 全長34m、後円部径18m、高さ4m、前方部幅20m、高さ2m。 築造は古墳時代後期(6世紀末)と考えられている。 |
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西山古墳2 南に横穴式石室が開口している。 石室の大きさは奥行き5.8m、間口1.9m、高さ1.5m。 石室の大部分は凝灰岩の割石を使用している。 埴輪の存在は確認されているが、葺石は見つかっていない。 |
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温泉神社(薮塚) 昔は湯権現と呼ばれていたが、いつの頃か温泉神社と呼ばれるようになった。 村人はこの地の岩窟から湧き出した湯を病を治す湯治場としていました。 或る時、馬が飛来して叫ぶと温泉は冷泉になってしまった。 そこに薬師如来が夢枕に立ち、この冷泉を温めて入浴すると病が治ると・・・ |
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北山古墳 墳丘の直径22m、高さ4mの円墳。 葺石は不明で、埴輪も確認されていない。 南に横穴式石室が開口している。 石室は両袖型で、奥壁には漆喰を塗った跡が残る。 築造は古墳時代後期(7世紀後半)と考えられている。 |
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群馬県古墳巡り | |||||||||||||||||
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