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西運寺 寂定山弘通院西運寺という浄土宗のお寺。本尊は阿弥陀如来。 下総国の弘経寺の末寺。徳蓮社法誉が開山となり創建。徳川家康が関東入国後、 深谷城主となった松平源七郎康直が中興開基した。 慶安3年(1650)には寺領15石6斗の御朱印を拝領した。 |
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日吉大神荒社 国済寺を康応2年(1390)に開山した峻翁令山禅師が開山と同時に、 日吉大神と荒神社を勧請、いつか併せ祀るようになった。祭神は大山咋命と火産霊神。 深谷上杉氏の祖・上杉憲英が国済寺の鎮守神として創建した。 |
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国済寺1 常興山国済寺という臨済宗南禅寺派のお寺。 奥州管領・上杉憲英が開基となり、峻翁令山禅師が開山した。 上杉憲英の館であった庁鼻和城に康応2年(1390)創建したという。 境内には黒門や山門など文化財が残る。 |
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国済寺2 上杉憲英は新田氏への抑えとして深谷に居を構え、 奥州管領となり、陸奥守と号して深谷の祖となった。 本堂の裏に当時の築山と土塁が残り、深谷上杉氏の歴代のお墓が残る。 上杉憲英の墓は県の文化財になっている。 |
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愛宕神社(原郷) 創建年代等は不詳ながら、楡山神社の摂社として、原郷の小名木の本の鎮守として祀られている。 祭神は火産霊神を祀る。江戸時代までは八町八反の広大な樹叢を持ち、火防せなどの信仰があった。 一帯には木の本古墳群などがあり、古くから拓けていた。 「冬枯れや世は一色の風の音」の芭蕉の句碑が残る。 |
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深谷駅 渋沢栄一の生誕の地の玄関口。駅舎は平成8年東京駅をイメージして改築された。 元をいえば、大正3年(1914)、煉瓦造りの東京駅を建てられたとき、 その煉瓦を供給したのが深谷にあった日本煉瓦製造。 東京駅の煉瓦造りを模して、外壁は煉瓦風のタイル張り・・・ |
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滝宮神社1 古くは櫛引大地と妻沼低地の境目に位置し、 ご神水が唐沢川に流れ落ちる様を瀧になぞらえて「瀧の宮」と称した。 創建は太古、当地に住み着いた先祖が湧き出る水の恵を称えて祀ったのが始まり。 祭神は天照大御神、豊受大御神、彦火火出見尊を祀る。 |
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滝宮神社2 その後、深谷城が康正2年(1456)上杉房顕により築かれると、 その方角から裏鬼門の守護神として伝えられている。 江戸期には代々の城主が尊崇した。 |
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滝宮神社3 深谷城廃城後も仲町、本町、西島の鎮守として信仰されている。 境内は広く桜の名所としても知られている。 また、境内には八坂神社をはじめとして御嶽神社など境内社が多い。 |
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埼玉歴史そぞろ歩き
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埼玉考古50選 | |||||||||||||||||
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